文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

ピアノの話

 私は4歳の頃からピアノを習い、13歳でやめた。

 

小さい頃からピアノは全く上達せず、母は毎日私を叱った。思えば自分は何も器用にこなせる子供だったが、唯一音楽に関してだけは全くセンスがなく並の生徒より上達が遅かった。ピアノの先生は根気よく教えてくれ、私の気を落とさないためにピアノよりは身についた声楽についてここぞとばかり先生は『声が良く通る』やら『クラスで5番目くらいにうまい』と褒めてくれた。クラスには11人ほどの生徒が居た。

私がピアノを辞めてからは、母は完全に諦めたのか以前よりも私を怒らなくなった。しかしピアノは依然と私の部屋に置かれたままで、夜寝床につく時のピアノと私の間に流れるシーンとした空気が嫌だった。だがそれも時間が経つと感じなくなり、ピアノの上には私の勉強用の本などが置かれて、むしろピアノの方が部屋の一部の空気のようになった。

 

大人になった私は文鳥を飼い、そのピアノの鍵盤のように白い文鳥に触れながら昔のことを思い出していた。

大学2年の夏、私の隣にはピアノの鍵盤のように指が細くて白い男の子が居た。彼は誰に対しても優しかったが、私は彼の優しさと弱さに共感することが出来なかった。共感もなにも、私は世界で自分とこれ程かけ離れた人間が居ることに驚いた。彼は夜に起きて朝に眠り、最低限の食事を摂り、音楽が得意だった。私は彼について、結局のところ何一つ理解することが出来なかったが、ただなんとなく、私は本当はピアノを嫌いになるべきではなかったのだと思った。私はピアノのことを本のように、絵のように、文鳥のようにもっと愛すことができたはずなのだ。ピアノが上手く弾ける私は、きっと彼の優しさも弱さも分かってあげることができた。ただ私は彼と会うべきでないときに会ってしまって、優しさの欠けたまま長すぎた時間を共にしたために、グラスになみなみ注がれた水が一気に決壊したのだ。だからある朝急に、

「もういいよ。」

と告げられた私は悲しみよりも先に「ああ、やっとこの時がきたのね」と安心してしまった。それから少し時間たってから、たくさん泣いた。別れたらもう二度と触れられないと分かっていたのだ。サヨナラというのは色んな種類があるが、これはきっと人生に1度きりの、最後に交わすサヨナラなのだと思った。

 

せめて夢の中で会えたらいいのになどと思いながら、文鳥の無垢な真っ白い羽を眺めている。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)