文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

国語の教科書に載っていた話をひたすら思い出す〜『黔の驢』〜

今回の話は柳宗元『黔之驢(けんのろ)』です。

高校生の漢文の教科書に載っていたお話になります。

 

全文はこちら

frkoten.jp

 

話の概要

黔州(昔の中国の地名)にはロバがいなかったが、好き者が外地からロバを輸入して、使い道がなかったので山に放った。

 

ロバを見かけた一頭の虎は、その大きな体と口に慄いて、しばらく様子を伺っていた。

 

初めはロバの大きな鳴き声に驚いていた虎は、段々その声にも慣れて、

ある日ロバの近くに行き、体をぶつけてみた。

怒ったロバは後ろ足で虎を蹴り、虎は喜んで言った

 

『なんだ、その程度か。』と。

虎はロバに飛び掛かってその喉を食いちぎり、肉を食い尽くし、そのまま去っていった。

 

この話の教訓はこうである

「見掛け倒しで大した技量がない者は、その技の拙さを強い者に見せてはいけない。」

 

黔の驢は、私の記憶に最も強く残った話の一つです。

それは、内容の深さや話の面白さのためではない。

むしろ、その真逆でした。

 

高校時代の国語で、この話の授業を受けた私は何一つピンとくるものがなかったのです。

しかも、当時私が非常に尊敬していた、恩師とも思える国語の教師が、この話に対し異常に思いれが深く、重々しく、大事なことを教えようとしていたのだと直感的にわかったのです。

 

非力なロバが、強い虎に食い殺された。

そんな当たり前の話から来た当たり前のような教訓を、どう受け止めようと言うのだ?

そう思っていたのです。

 

高校生の自分には分からずとも、大人になった自分なら少しは分かるはず。

何かしらそこからすくえるものがあるはず。

そう思いながらこの記事を書いています。

 

では、本題に入ろう。

まず、当時の高校生の私が何に困惑していたかということから。

黔の驢はおおよそ「見掛け倒しで大した技量がない者は、その技の拙さを強い者に見せてはいけない」という教訓を示している。

それについて頭ではわかっていました。

しかし、全く感覚的にわからない。

経験と、そのようなシチュエーションに身を置いたことがなかったのです。

 

それもそう、なぜなら普通の高校生は虎みたいに怖い大人に食われた経験があるわけがないし、身の程知らずで自分より強い人間に蹴りを入れる機会も普通はあり得ません。

 

理解しろと言われて、ピンとこないのも無理がないのです。

まして、たとえ強い者にいじめられても怒って反撃しようとしない性格なら。

 

しかし、今の自分なら、ロバの気持ちが少しは分かるのです。

少し横道に逸れるが、黔の驢を書いた柳宗元の話をしましょう。

 

柳宗元は中国の唐の時代の文学者、政治家。

21歳の若さで科挙に合格し(当時の合格者平均年齢は36歳くらい)、順調に出世して官僚として活躍していた。しかし、その才能は政界の陰湿な権力闘争に敗れ、政治改革をしようとするも目をつけられて失脚。その後左遷され、柳州で亡くなる。黔の驢は、彼が左遷された場所で書かれた「三戒」の寓話の一つでした。

黔の驢は、ほとんど作者自身の体験から綴られた教訓だと分かりますね。

 

つまり、第三者の目から見ると、

たとえ天才でも、素晴らしい技を持つ者でも、頭がずば抜けて良くても、

強大な権力の前ではロバに過ぎず、大人しくしていないと、いつか食い殺されてしまう

ということがこの話の暗示する教訓になります。

 

ついでに言えば、私の当時の国語教師は、元々教育界の高い地位にいたのだが、異動で田舎の高校教師になったのです。

 

心の中に秘める思いが、この話には沢山あったのでしょう。

 

おわり

 

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