文鳥とピアノ

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映画案内〜これまずくない?『竜とそばかすの姫』の反社会的メッセージ性〜

令和4年の銃撃事件により地上波放送が延期となった、『竜とそばかすの姫』

アマゾンプライムで視聴できたので、感想を書いていきます。

 

結果から言うと、筆者はこの作品をかなりまずいと思ってます。

作品の出来への評価ではなく、作品を通して監督が伝えようとしているメッセージがまずいと思ってます。

これは100%筆者の感受性によって受け取ったものであり、必ずしも正しいわけではない。

ただ、何万人中の一人が受け取ったということは、他にもそう感じた人はいる可能性があるということです。

 

では、具体的にどこがまずいのか、1点ずつ整理していきます。

 

※この先ネタバレがありますのでご注意ください。

※かなり辛口評価ですので、ファンの方は速やかに離れてください。

 

竜とそばかすの姫

 

その1 権力は悪であり、弱者でも世界を救うことができる

今回の作品でも、社会の負の一面が沢山描写されました。

 

仮想世界Uで正義を気取り、自警団を名乗る筋肉バカ、ジャスティン。

最後まで傍観者でいる主人公と仲の悪い父親。

主人公が救おうとしているケイくんとトモくん、を虐待している彼らの養父。

口先ばっかりで何の役にも立たない児童相談所

 

権力を悪役にしている作品は世の中山ほどありますし、細田守の世界観では珍しくはないが、今回のは一社会人から見るとあからさま過ぎるし、少々不愉快だった。岡田斗司夫も言っていたように、大人がかっこいいアニメは近年ますます減ってきていて、それに関しすごく残念に思う。

それとも、本当に日本の社会は権力が救いのないほど腐敗しきっているのか?

 

挙句の果てに、児童相談所がすぐに動かないから、四国から東京に夜行バスで飛んでいってしまう主人公。

 

いや…この青春の感じ、わからなくはないですよ。

極悪人の虐待親父が、目力の強い女子高生を目の前にしただけで怯んでしまい、尻餅までついてしまうように話を作りたくなる気持ちも。

 

新海誠なら許せたのに、なぜ細田守は許せないのだろう…

 

思うに新海監督は、主人公の根底にある社会的弱さみたいなものを描いているが、細田守はその辺りにあまり触れていなかったから、違和感を感じずにはいられないのかもしれない。

 

田舎のJKが普通に上京したら電車もバスも間違えるし、道なんてわからないし、そんなにすぐに目的を果たせるわけがない。

 

その辺りのところを、新海監督ならもうちょっと丁寧に作っていたかな。

 

そして大人はみんな傍観者という訳ではないし、主人公一人の力ではなく、道中色んな人に助けられながらケイくんとトモくんを助けに行く、とかの方が視聴者も納得できるんじゃないのかな。

 

その2 仮面を被ったままではダメ。本当の自分を曝け出せ

筆者が最も反感を覚えたのは、主人公が仮想世界でオリジナル(現実の姿)を世界に見せ、竜(ケイくん)に見せて信頼を勝ち取るシーン。

非常に感動的で、現実と仮想世界が交わった、神々しいシーンでした。

しかし、

 

「結局現実のありのままの姿でしか、人間は分かり合えないのか?」

「仮想世界に逃げ、仮面を被るのは結局甘えなのか?」

「<U>の世界は結局、現実に居場所がない人間の救いにはなれないのか?」

 

つまり、

「結局<U>の世界は何のためにあるの?」

と言う点が非常に疑問です。

最終的には現実で何もかも解決しなかればいけない、

だったら最初から全部現実の出来事にしてもいいのでは?

主人公は現実にいる覆面美少女シンガーで、ケイくんは現実にいるテロリスト。

…物語にインパクトはなさそうですが。

 

サマーウォーズにとって、OZはネットのハッキングをイメージ化するための物語上のツールであり、不可欠な要素だが、

 

<U>は竜とそばかすの世界であまりにも役不足である。

 

その3 女の子はミステリアスなイケメンに群がるもの

これについてはまあ許せます。

最終的に、学校のマドンナが変人扱いされてる男子のことを好きだと判明しているし。

監督、きっと女子による学園ヴォーゲームのあのシーンがやりたくて仕方なかったんだろうな。

面白かったです、ありがとうございます。

 

 

 

以上かなり滅茶苦茶なことを書いてますが、映像と歌は素晴らしく、キャストにプロじゃない方を採用する挑戦的な姿勢も個人的に好感を持てる(出来はともかく)。

 

ぜひご覧になってみてください。

 

おしまい