アニメ紹介〜『輪るピングドラム』〜京騒戯画とみる果実の持つメタファ〜
まわピン10周年おめでとうございます。
気づいたらリメイクの劇場版が始まってて、気づいたら前編がとっくに公開終了してて、気づいたら配信も終了してて、ぶっつけ後編から観るのを迷い中です。平日は映画館に脚を運ぶ暇もなし、休日は家でアマプラ三昧。サラリーマンは辛いよー。
『輪るピングドラム』は知る人ぞ知る鬼才幾原邦彦監督の作品で、1995年に起きた地下鉄サリン事件をテーマに、「ほんとうのさいわい」について描いた宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の半透明なオマージュである。
ここで半透明と表現したのは、そのあまりにも突出したオリジナリティによって、作品がほとんどオマージュの形を保っていないからです。
しかし、そのテーマと、林檎や電車というメタファ、作品の重要人物であるヒロインに妹という役割を与えたこと(宮沢賢治の作品の根底には妹への想いが大部分を占めている)、その妹が牛乳嫌いであること…など挙げたらキリがないのである。
オマージュという呼称はいまいちとは思うものの、より適切な表現があったら教えてください…
さて、筆者がまわピンを初めて見たのは2年前になりますが、実はその前に『京騒戯画』というアニメを観てどハマりしてました。それはどういう話かというと、「神様がノリで子供とその子供の住む世界を作ってみたが、めんどくさくなったので全部子供に任せて自分は神様を辞めた」というクソニートのような話である。
その後にマワピンを見て、自分の感じた両作品の共通点は3つありました。
1.血のつながりのない兄弟が果実を分け合い、深い絆を得ること
2.神様の存在が明示的にないし暗示的に存在し、物語の根幹を支配していること。
3.とにかく難しくて意味がわからない
3番がいちばん大事です。(笑)
今回は1番について、考察という名の取り留めない拙筆を走らせていただきます。
※ネタバレ注意
アニメ未視聴の方は、話が全然わからないと観る気も失せる!場合以外、先に作品の視聴をお勧めします。
京騒戯画とみる果実の持つメタファ
1.苹果
まわピンでは、苹果(りんご)が物語の中心となって三兄弟の運命を変えています。
苹果≒ピングドラム≒運命≒命≒愛
です。
また、物語には苹果という名前の女の子がいて、彼女もまた運命を変えるという役割を持っています。
果実の苹果が登場したのは晶馬が陽毬をこどもブロイラーから救う、冠葉の父親の葬式時に陽毬が冠葉を救う、最後と同時に第一話で冠葉が死んだ陽毬を救う場面です。そうやってみると確かに苹果が回ってますね(小並感)。
さらに、最後の運命の乗り換えで苹果(名実ともに)が現れ、本来3人では回りきれない輪に自分自身を差し出すことで陽毬を運命から救い出します。
苹果はきっとカンパネルラの役割を持っていたのですね。ただ女の子が死ぬのは可哀想なので、最後は晶馬が男らしく代償を肩代わりしてあげます。
2.柘榴
京騒戯画の柘榴(ザクロ)は、
柘榴≒命≒役割
かなと思います。
柘榴が初めて登場したのは、死んだ少年だった頃の主人公を神(後に無責任ニートだと判明)が気まぐれに拾い、その妻(ただのうさぎの擬人化)と石榴を与えて主人公が生き返るシーンである。そのせいで主人公(明恵)は不死となり、後に出会った妹に「俺を殺してくれ」と願うようなメンヘラ男になってしまう。
しかし、物語を通して成長した明恵は、物語の終盤では神様である父のせいでヤンデレ化した()妹を助け、柘榴を与え、世界再建の役割を共に担うという健全なハッピーエンドへと向かう。
まわピンに比べたらあっさりした物語の構成であるが、面白い作品なので是非観てみてください。
3.トマト(道草フィールド)
まわピンと京騒戯画を紹介したが、最後にレヴュースタァライトのトマトについて。
レヴュースタァライトの監督古川知宏さんはまわピンの監督幾原邦彦の弟子なので、描写に相似している箇所が多いです。運命を表すのに列車を使ったり、日常にいきなり動物を入れたり、たまにポエマーなセリフがあったり…
自分がいちばん印象に残ったのはトマトの使い方です。レヴュースタァライトのトマトは
トマト≒燃料
です。
燃料とは、舞台少女であり続けるためのモチベーションとか、命を燃やすための燃料と考えるとしっくり来ます。真っ赤なトマトがとにかく映像映えするので綺麗でした。
最後に
ここで挙げたアニメの他でも、色々な果実をメタファーにしている作品があります。どれも新約聖書の禁断の果実から由来していますが、みんなイチジクをメタファーには使わないのですね。率直すぎるからかな?
ところで、りんごもざくろもトマトも、断面がハートだからかわいいですね。
おしまい