文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

傘を無くした

傘をなくした。

 

正確に言えば、なくなっていることに気が付いた。

新入社員だった頃、ある日仕事が終わるといきなり外で大雨が降り出して、置き傘もなかったので近くの百貨店で買った折畳み傘だ。

色んな傘を物色しているうちに、一時凌ぎのビニール傘ではなくなるべく長く使える気に入ったやつを買おうと決めたのだ。

それで頑丈そうな綺麗な明るい茜色の折り畳み傘を買った。値段もそこそこで2500円。

あれ以来、あまり使わないリュックの中に置きっぱなしにしていた。

 

そうして今日になって、私は駅中の雑貨屋を通り過ぎた時に茜色の傘を見かけた。

好みの色だったので思わず近寄ってみたら、

急に自分がその傘と寸分違わない傘を持っていたことを思い出した。

「あれ、あの傘はどこに閉まったんだっけ」と考え始めるとそわそわして落ち着かず、

急いで家に帰ってリュックや箪笥の中を漁ってみたが、とうとう傘は見つからなかった。

傘の袋すら残っていなかった。

 

失くした時は気が付かずに時間が経つと思い出し、そして何時失くしたかが思い出せない、そのような種類の失くし物がある。

私は気に入ってるものに限ってそのような失くし方をする。

きっと私が今気付いていないだけで、既に多くのお気に入りだった物を失っているのだろう。

大事にすればするほど目に触れなくなり、いつかそっと目の前から消えてしまうのだ。

 

私はなんとなく、一人の人間が一生のうちに本当に無くさずに持っていられるものの量は決まっているのではないかと思った。

それらは大事にし過ぎた儚いものではなく、どちらかと言えば乱暴に使い倒してすっかり手に馴染んでしまったものの方が多い。

逆に言えば、気に入ったものは沢山使わないといつ失くしてしまっても気が付かなくなる。

 

今日は一日中失くした傘のことを考えていた。

そしてなんとなく、私が今まで失ってきた物が他の誰かの手に渡り、大事にされていたら良かったのにと、無責任ながらそのようなことを思ってしまったのです。