文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

国語の教科書に載っていた話をひたすら思い出す〜『少年の日の思い出』〜

今回は国語の授業で出会った作品についてお話ししようと思います。

長くなりそうだから、何回に分けて書くことを検討しています。

 

このテーマについて書こうと思ったのは、大学生協の本棚でヘルマンヘッセ作『少年の日の思い出』を目にかけ、懐かしさのあまり即買いしたことがきっかけです。

 

思えば中学、高校の国語の教科書は個人的に全部の教科書の中で一番好きでした。まだ義務教育だった頃、公立だったので学期始まりの朝の会などにみんなが教室に集まって、クラスの男子が教科書が詰まれた段ボールを運び入れる様、ずっしりとした教科書が一冊ずつ前から回ってきて、その上に油性ペンで名前を書き込むドキドキ感、ロボットのような担任が大声で冊数と教科を確認する声、教室内の喧騒、すべては大学では体験できない趣がありました。そんな大事な記憶をも自分はとっくに前に忘れかけていたので、この機会に何か掘り出し物があればと思っている。

 

教科書が机の上に積まれてひと段落落ち着いたら、自分は必ず真っ先に国語の教科書を読むのでした。国語の教科書は一旦読み始めたら止まらない。ひどい時はその日の休み時間中ずっと読んで、家に帰っても読んで、一日でほぼ全部の話に目を通してしまう。それはおそらく、10代という夥しい自身の変化に飲まれる真っ最中で、珍しく変わらなかった私の習慣の一つであった。国語はそれほど好きではないし、寧ろ試験の類は苦手だったが、読むことは好きだった。それに、中学の国語の表紙はなかなか素敵だった。

 

伝え合う言葉中学国語 1 [平成18年度] (文部科学省検定済教科書 中学校国語科用)

 

知る人ぞ知る、井上直久さんの「イバラードの世界」。それについてのコラムも載っていたなんて覚えてませんでした。しかし、制作過程の写真は衝撃的だったのではっきり覚えてました。「イバラードの世界」で馴染みのあるものでは、『耳をすませば』で雫の小説に現れる背景などですね。

 

閑話休題。寧ろ載っていた作品はどれも印象に残りすぎて書ききれないくらいだが、今回はとりあえずクジャクヤママユガの話をしよう。

 

『少年の日の思い出』 ヘルマン・ヘッセ

『少年の日の思い出』はヘルマンヘッセの随筆で、改めて読んでみると意外と短かった。なんといっても主人公の罪の意識や、友人への妬み、スリル満載の盗む過程、生々しい心情と動作の描写が思春期の中学生の心にかなり響きます。『それらを指で粉みじんに押しつぶしてしまった。』という結末のインパクトが物語全体の闇を深くさせ、自分が大事に大事にしていたものを、自分の指で一つずつ、粉々に押しつぶす主人公の心の痛みを想像せずにいられない。そして自分も痛い。なんて悲しい思い出だ。皆が皆虫取りに夢中だったわけではないが、中学生なら似たような傷心な経験は一度や二度したことがあるはずである。丁度クラスにエミルという名前の陽気でノリがいい女の子がいたもんから、みんな幾らからかってもからかい切れず、クラス内のエーミールブームは一か月しても収まらなかった。

 

訳者の岡田朝雄さんはこれもまた面白い方で、ドイツ文学者で元日本昆虫協会副会長である。あとがきを読むまで知らなかったが、『少年の日の思い出』はドイツ本国ではあまり知られてないらしい。ヘッセの作品集にも全集にも収録されておらず、文献にはタイトルすら出てこない。新聞や雑誌に『蝶と蛾』『小さな蛾の話』として発表されたこともあるようだが、それっきりである。二十年後にドイツ文学者高橋健二教授がヘッセを訪問され、別れ際に渡された新聞の切り抜きにあったのが後の国語の教科書に載る『少年の日の思い出』となった話である。

 

蝶や蛾の話をまたし始めたらきりがないが、今回のオチとして、私はこのヘルマンヘッセの随筆集と一緒に一週間香港・マカオ旅行へ出かける事になったのだ。暇つぶしに何かを持っていこうと積み本を漁っていたらこれが出てきたので、旅のお供としてはいかがなものかと思うが、他に良い厚みの本がなかったので仕方がない。無事渡航できることを祈っている。

 

文庫 少年の日の思い出 (草思社文庫)

文庫 少年の日の思い出 (草思社文庫)

 

 

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