文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

雨が降るりそうなじめじめした冬の日に、不意に襲ってくる懐かしい空気を追いかけたその先にあるものは

 

小さい頃に住んでた都市の空の記憶と

少し古くなった石造の家

埃っぽい道路の脇を歩いてる情景

温泉旅館の廊下を歩いてる気怠さ

 

それらは全て自分の中にあるはずのものなのに

なにかの五感の刺激がないともう引き出せない

悲しいほど愛おしい過去の記憶

 

マドレーヌを紅茶に浸した一瞬の香りと共に去る

 

 

 

 

 

 

 

夢Ⅱ

日ごろ自分が考えていることの答えは、偶に夢となって出てくる。

いいや、もしかしたら答えという程のものじゃないかもしれない。何気ない手がかりとか、小さなヒントのようなものだ。

電車に揺られうたた寝したり、本を片手に意識が朦朧とした時、尋常の道路を歩いてると我知らずに道端に逸れて、眠りという浅い池の中へゆっくり入り込んでいく、そのような気持ちである。

夢の中で誰かが繰り返し何か大事なセリフを言ってたり、宇宙のような無の暗闇の中で自分が何かを呟いてたり、私はとにかくそれらのことを覚えられるように繰り返し何度も、夢の中の主人公に言わせるのだ。

不思議なことに夢から覚めると、池から出たばかりだと裾は辛うじて濡れているものの、瞬く間に記憶はすべて水のように蒸発してしまう。池にある砂金を何度も掴もうとするものの、両手に残った微かなものさえ水とともに指の隙間を通って跡形もなく消えてしまった。さらにくみ取ろうとするも空振りするばかりで気づいたらいつもの道路の上を歩いていた。

そしてまたいつか、会える日まで。

読書案内〜夏目漱石『門』〜

角川文庫を読んだのだが、本の背面のあらすじがあまりにもネタバレだった。それからと同じくどうしてもあの表紙が好きだったから本屋を探し回った。もうほとんど残ってない様だ。

 

『それから』に続いて、人妻を奪った主人公のその後をほのめかす作であった。主人公の過去は必ずしも『それから』の主人公と一致しないが、時系列的には噛み合っている。大まかに言えば一見平和に暮らしてる夫婦の心底にある罪の意識と、悟りを開く事の難しさがテーマである。主人公と年齢的に離れすぎているので色々難しくて気持ちが分からない。しかし自分から見ると主人公は一応就職しており罪の意識にうなされるものの奥さんとはラブラブで暮らしにも不都合がない、偶に子供がいなくて寂しかったりするがなんと平和でハッピーエンドなのだ。

 

それでも宗介は友人の消息を聞いて過去の罪の意識が鮮やかに蘇り現実逃避で悟りを開きに行くが当たり前のように失敗して帰ってきた。「門」は悟りの門という意味もある。罪から逃げていたはずなのにいつの間にか罪悪が目の前に立っている。春になったけどまたじきに冬になる。そんな感じで物語は閉まりました。

 

夫婦がイチャイチャしてる日常が本の半分以上もあるんだから(時折暗黒面を匂わせているが)凄くのんびりに見えます。なんだか一番よく分かりません。私に悟りとか罪悪感とかは早すぎたようです。

 

 

門 (角川文庫)

門 (角川文庫)

 

 

 

 

不思議な夢を見た。

私は夜電車に乗っていて、帰路についていた。電車の中は空いていて、席が所々空いていた。しかし降りるはずの駅には違う名前の駅が出来ていて、それを過ぎても家から遠ざかるばかりだった。私は家に帰れないまま、逆方向の電車に乗り、世の中に何が起きているのか見ようとした。しかし皆は至って普通に生活していて、迷いなく問題なく、乗るべき電車に乗り降りるべき駅に降りることが出来るのだ。たまに降りるとそこは懐かしい風景ばかりで、果たしてそれが幼い頃の記憶なのか夢で見た風景なのか分からなくなった。周りの人に道を聞くもみんな知らないと言う。最後は知らぬ住職が、ただ女の人が森の中に立っている意味を表す漢文を教えてくれた。

夢から醒めるとただひたすら懐かしく、どこかそぞろ恐ろしい気分だった。

読書案内〜夏目漱石『それから』〜

夏目漱石の『それから』を読み終えた。高校で三四郎読んで"それから"二作は読めていないが大学に入って前期三部作再チャレンジです。どうしてもあのカバーのものが良かったから結構探し回ったものだ。アマゾンで買えばよかった。

 

簡潔に言うとあれは『NTRニートのすすめ』(あくまでも個人の感想)というタイトル。主人公坊ちゃんは大学卒業してから家で働かず好きなだけ本を読んで親から金を貰って暮らし、その上真面目に働いてる友人のことを仕事に縛られ過ぎだの堕落してるだの〈ニートなのに〉口出しして終いには自分が仲人した親友の奥さんを奪ってしまう。その時の親友への文句がなんと『体は君の所有物に出来るが心までを所有物にすることはできない』親友のプライドはこれはもうズタズタですよ。

 

ざっとこんな話ですが、人の奥さんを奪う話なんかも美しく自然な風に書けるのが夏目です。人妻だけど愛さえあればいいよね。表面上は人妻奪う話だけど、自然の気持ちに従うか理性で社会の道徳に反しないよう抑えるかかという究極な問題を論じている。そこで夏目が出した答えは『人間は自然に逆らえない』ということだったようだ。

 

 

それから (角川文庫)

それから (角川文庫)

 

 

昔日

昔の夢を見た。

 

夢の中で、かい君はまだ小学生で、私は成長していた。

「君は変わらないね」と私は夢の中の彼に話しかけると、

「君は大きくなった」とかい君は返した。

 

「大きくなって、つまらなくなった」とこっちを見ながら言った。

 

全くその通りだ。私はきっとこの先もっとつまらなく、もっと大人らしくなっていく。夢の中の君だけがひとり、取り残されて、永遠に元のままだ。

 

「私、この国から出ることにしたんだ」そう言うと彼は寂しそうに笑って、知ってたと言う。

 

鉛のように重い体が、潮のように、向こう側へ引き戻される気配がした。そう言えば、もう10年会っていない。時間の訪れだけが過去の映像を巻き戻している。

フランシスコ・デ・ゴヤ

最近美術館へしばしば足を運ぶようになりなして、ようやく絵画について少し蘊蓄を垂らせるようになりました。昔から絵を描くのは好きでしたが名画には微塵たりとも興味がなかったので、少し精神的に成長できたようにも思えます...

 

まず私が初めて興味を持った作品からThe Sleep of Reason Produces Monsters - Wikipedia

これは塾の壁に貼られてあった、古い紙きれのような絵でした(なかなか変な塾である)。The Sleep of Reason Produces Monsters と、左下の白字、スペイン語で少々見づらいけど書いてあります。他にも同じような黄ばんだ紙切れの似たようなデッサンの絵が何枚かありましたがこれがどうしても気になって調べたらゴヤの作でした。其の頃ゴヤと言えば、ソファーに転がってる裸婦の絵だったので(すごい偏見)人違いかな?(笑)と適当に流してしまった。実はラファエロ展で『わが子を喰らうサトゥルヌス』『砂に埋もれる犬』などの黒い絵シリーズは何作か目にかかった筈なんだけど、人名はやはりすぐに覚えられなかったようです。

 

ところでこの「The Sleep of Reason Produces Monsters」(理性の眠りは妖怪を生む)は版画集連作Los caprichos(気まぐれ)中の「夢」シリーズに当たるもので、この時すでに聾者となっていたそうだ。社会への風刺をあからさまに表現したものがよく出版できたものだ。