文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

観覧車で捕まえて

19歳、私は上京して、小さめのアパートに住むことになった。初めてその場所を訪れたとき、私は都会から少し離れた、あんまり辺鄙ではなく、かといって賑やか過ぎないその町のことが気に入った。通りかかる通行人の少し呑気な顔や、街角でうろつく大儀そうな野良猫、点在する公園とちょっと多すぎるカラスは自分の性に合っていた。私はその町のことが割と好きだった。

 

何よりも、その町には大きな観覧車があった。朝の通勤路や昼の買い出し、夜のランニングまで、観覧車はいつも決まった方角で、決まった速さで回っていた。平日も休日も休むことなく、雨の日でも炎天下でも、月が掛かったりしても全く気にしない風に回っていた。私は昔から観覧車のことが好きだった。一度も乗ったことがなかったが、その壮大さや悠然とした時間の流れに非常に惹かれていた。私はこの町をいつか出るまでに、その観覧車に乗っててっぺんから街を、海を、自分の住む世界の在り方を全部見尽してやろうと思った。できれば好きな女の子と一緒がいいな…とか思ったりした。

 

私が22になった頃、いい感じの女の子がいた。それはあくまでもいい感じの関係であって、それ以下でも以上の関係でもなかった。私たちは偶に飲みに行き、終電まで語って夜道を一緒に歩いた。彼女は終電を逃さない人間なのだ。

 

ある夜、私達が駅まで歩いていると、丁度目の前にライトアップされた観覧車があった。随分遅くまで回っているなと思って私がぼんやり見ていると、彼女は確か、「なんでみんな、あんなものに乗ろうとするんだろうね」と言った。あるいは「誰があんなものに乗りたいんだろうね」と言ったのかもしれない。どっちにしろ言ってることは同じだ。彼女はそういう口調を持った性格で、そういう乗り物に好んでは乗らない質なのだ。「高い所が見たいからじゃない?」と私は適当に答えた。私は好きなんだけどなあ、観覧車。「そんなもんかあ」と彼女は言って、私たちはそれ以降何も話さなかった。

 

翌日、結果として、私は観覧車に乗ることになった。仕事帰り、ふらついていたらたまたま通りかかって、丁度暇だったのだ。私は単純な好奇心で一人で切符を買い、ひとりで階段を上り、ひとりでゴンドラを待った。スタッフはひとりで観覧車に乗る客を見てもそれほどおかしな顔をせず、前のカップルと寸分違わぬ調子で私を案内した。口角の上がり方までが自然そのものだった。一人で観覧車に乗る客はそう珍しくないのだろうか?彼らはそれぞれ何を思って一人で観覧車に乗るのだろうか?どんな気持ちでゴンドラに踏み入れ、どんな気持ちで戻ってくるのだろうか?

 

ゴンドラは狭いとも広いとも言えなかった。席のペンキは少し剥げた部分があり、窓ガラスは汚れや傷がついていた。私が道を歩く人間の顔や、ビルの看板、港の船などを眺めているうちに、あっという間に観覧車の頂に辿り着いた。あっという間過ぎてほとんど気付かないくらいだった。街の景色は予想を超えなかった。そこは私がいつも住んでいる町であり、少し遠くに海があり、その先は見えなかった。陽が落ちるせいか町は少し薄暗かった。私は何ひとつ町について、自分について新しく発見することができなかった。それはいつもの町であり、自分の住む日常であり、それ以上何も私に与えてくれない。自分が高い所に居る自覚もなく、そこが本当に頂点なのか確認する間もなく、ゴンドラは反対側に落ちていった。私は空中から町に落ちていくのを感じた。落ちるときのスピードは、登るときよりもさらに、何倍も速かった気がした。そして私は来た時のプラットホームに戻り、スタッフに少し先に見たものと同じ笑顔で迎えられ、同じ足取りで家路についた。

 

あれからいい感じの女の子とは疎遠になり、町も日に日に色褪せていた。私は観覧車が目につかなくなり、日常から一つ星が消えたのに気付いた。私は何がなんでも、あの時に観覧車に乗るべきでなかったのだ。うまく言えないが、私はまるで何年も丹念に描いていた絵画を、いかにもミーハーっぽい中年の太った女に何度も値下げ交渉されて、安値で売ってしまったようだった。

 

多分私は、自分の中の観覧車を現実から守る必要があった。ちょっとひねくれた女の子や、日常の退屈、無感情になっていく自分とか、誰からも暴力を振るわれないひっそりとした離島に隠してしまわなくてはならなかったのだ。小さい頃の夢とか、初恋とか、思い出のレストランとか、ふるさととか、そういうもの全てを。私は今までどれだけの夢を侵食されてしまったのだろうか。そしてこれからも様々な大事なものが失われ、運が悪かったらボロボロに砕けたまま、頭にこびり付くのだろうか。私は私の理想を全力でこの薄暗い現実から守り抜かなければならなかったのだ。 

 

あなたの夢は守られていますか?