生々流転

少しだけお付き合いください

迷いとか決断とか

自分は一人ベルトコンベアの上に居る。

いつからそうしているか覚えていない、誰かに言われているのかもしれないし好きで乗ったのかもしれない。とにかくベルトコンベアから下りることができない。できないと言うよりめんどくさいのだ。下りたら完全に行くべき方向がわからなくなってしまう。だから決まった方向に進むベルトコンベアはすごく楽ちんでいい。

私は胡坐をかいて座っている。ベルトコンベアは午前4時の森のように静かに回転している。始点は見えず、行く先の見えない、周りが霧に囲まれているけど、そんなに不安をそそる霧ではなかった。どちらかと言うと、子守歌のように緩やかで、羊水のような温かみがあり、温泉の湯気のようなものだった。私はベルトコンベアの上で寝ころびながら考えた。それはきっとどこかに行き着くはずだ。一つの方向に、自分の求めているものかどうかは確信できないが、そこに行き着けばそれを受け入れようと思っていた。

 

ベルトコンベアは音も立てずに回っている。ゆったりとした広さのあるベルトの上に居ながら自分は心地の良さすら感じていた。周りの風景は絶えず変化し、偶に猫までやってくる。春にはうららかな陽が差し、夏にはスイカ畑を通り、秋には銀杏の葉を集め、冬にはベルトの上にささめ雪が積もった。しかし自分の周りにはいつも薄い霧に包まれていた。霧はしつこくベルトコンベアに付きまとい、何かの生物の集合体のようでもあった。

 

ある寒い冬の早朝に、私が深い眠りから浅い眠りへ、そしてあやふやな目覚めに囲まれた間に、今まで自分の四面を囲んでいた霧が突如と煙のように消えていたのだ。視野の広まりに追いついていけなかったが、立ち上がり恐る恐る周りを見ると、自分はどうやらとてつもなく高い崖、城壁のようなものの上を移動していたことが分かった。は、慣れた方向は万里の長城のように遠く、壁の上に春の草原があって、夏のスイカ畑があって、秋の枯れ葉が積もり、冬の雪が残されていた。壁面には針葉樹が所々思わぬ方向に向いて生えており、森や林を成している。さらに壁の下を見ると…水のようなものが見えた気がした。というのも、水はひどく透明であり、そこに水の存在を気付かせないくらいの静かな水面があるからだ。自分でも良く晴れた晴天では辛うじて水面に映る青と、白くて細い雲が見えたが、荒れた日や霧が重くなると一気に崖の下が見えなくなるのだ。そうゆうときは、針葉樹がざわつき、風が吹き荒れて大体下を見る気にもなれないけれど。

行く先をよくよく見ると、今度は100メートル程先に霧がかかっていた。そこには一つの塔があり、それが隠れるか隠れないかのところに霧がかかっている。100メートルと言うのは、100メートル走で速くて15秒、歩いて3分程、ベルトの上で10分程だ。私は急に恐ろしくなった。今まで崖の上にいたなんて夢にも見なかったからだ。この先には何があるのか、もしかしたら崖の端が塔の先にあるかもしれないと思ったら、恐ろしくて身震いがした。私はベルトコンベアから下りようとしたが、体は金縛りのように固くベルトの外に踏み出すことができなかった。その感覚は昔、嫌で乗ったジェットコースタが発進したときの恐怖や、落とした茶碗が割れると気付いた瞬間のような、何度も経験してきた、一種の後戻りのできない絶望を全身で味わうものだった。…どうして10分で辿り着く先なのに、朝と夜がやってきて、この時間が永遠に続くような錯覚に堕ちるのだろうか。ベルトコンベアは間違いなく、スピードを落とさずに進んでいる。100メートル先も、間違いなくそこにある。塔は動かないし、霧は後に引かない。夢と目ざめは変わらずやってくるのに、どうして時間がますます輪ゴムのように、茹でられた麺のように伸びていくのだろう。

この地獄が速く終わってほしいと願えば願うほど、私には戦う時間を余儀なく残されることになった。誰がこんなことを仕込んだのだ?何一つ決断をしてないように見せかけて、ベルトの上に残ると決断した自分のせいだろうか?私には今から戦う自由があるし、戦わないことを選択する自由もある。しかしその自由は、選択する前より、自分自身が持ちうるものだったのだろうか?私にはどれだけの可能性が残されていて、どこまでの有限性を含んでいて、その程度は、いつ、どのようにして、誰に自由と定義されたものだったのだろうか。

私は自分の体と格闘し、何とかそこから一歩を踏み出そうとした。全身を大の字に伸ばし、どこまでベルトからずれる事ができるか試してみたりした。逆走を試みたり、周りに落ちてるもので、崖から落ちた時に使えそうな縄や枯れ木を探したりした。そういうときに大体壁の下の水面が酷く濁って、自分の一挙一動を映した。私は遠くに映る自分の影を見て、ひどく阿呆らしくなった。私はなにと戦っているのだろうか?国か、社会か?人の目か?それとも自分の頼りない自尊心か?敵はどこにいるのだろうか?そもそも、敵などいるのだろうか?静かに目を閉じると、小さい頃に遊んでいた水車の事をよく思い出した。水車はただそこに居て、水を汲み、周り、また水を汲む。川がそこにある限り、水車は回り続ける。私はひたすらその様子を眺めるのが好きだったのだ。

何もかも諦めた日は、偶に晴天が現れ、城壁にはツバメが巣を作っていたりした。こんな日がいつまでも続けばいいと思った。しかし夜になると再び恐怖が訪れ、私は眠れない夜に周りの音に耳を立て、敵の一挙一動に神経を巡らせていた。

 

そうしているうちに私は塔の下に来た。それはいきなりだった。気付いたときには何もかも終わっていて、私がしてきたことは全て何てことのなかったように、遠く向こうの壁の端に記憶がこびりついていて、私はそれを拾うのを忘れたようだ。ひどく混乱していた気はするが、細かい事はほとんど覚えていない。

塔は目近で見るとそれほど立派なものでもなかった。橋から見たタワーブリッジの半分くらいの高さで、上が円錐型になっている。城壁と同じくらいくすんだ色で、塔と言うよりも、丁度亀の甲羅のように、城壁の骨格が何らかの原因で上まで延び、塔の形を成した建物になっているだけだった。私は前にも何度か、このようないびつな建物の下を通過したことがある気がする。赤レンガのきれいな塔で、ドームの先端に旗が付いている城塞のようなものもあった。しかしそんな印象や記憶は今となって、あんまり大事ではないように思えた。

私の身が塔に近づいたとき、塔は私にこう言った

 

「よう、いらっしゃい。そして行ってらっしゃい。君は何かを選択したように見えるが、その決断は一つの過程に過ぎず、これからも迷うことになるだろう。健闘を祈る。」

 

塔は何ともない風に、歯切れ良くそう言った。もし人間だったら、きっととびっきりの営業スマイルを浮かべていただろう。そして今まで沢山の人間が、塔の下を通て来たのかもしれない。ヨーロッパのお姫様が住む立派な塔にせよ、みすぼらしい犬小屋のような塔にせよ、塔かどうかも分からない何か大きな壁が崩れた跡にせよ…私たちは皆、そこを通て来た。どの塔も変わらず、歯切れの良い発音で、いらっしゃい、行ってらっしゃい、ご健闘を祈りますと言う。そしてこれから先、何度もそれらと戦わなければいけない…塔や、城壁と、ベルトコンベアと。水面上の自分も、水面に映る影も。

 

塔の先には霧がなかった。そこは断崖でもなかった。その先に城壁はひたすら続いていて、また新たな水面上の世界になっていた。