文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

変わらないものについて


中学校の同級生の話。

 

多くの田舎の中学校と変わらず、私が通っていた所も随分閉塞した環境であった。一学年には四つのクラスがあり、一クラス30人と言ったところだ。往々にして小学校で馴染みが出来上がってた連中ばかりで、外地から引っ越してきた子や少数派の小学校出身の子は肩身が狭かった。私は丁度少数派を占める小学校の区画地域に住んでいたが、あと一丁や二丁違っていたら多数派の仲間入りをしていたわけだ。

 

大方の予想通り、いじめの標的というのはこのような少数派に向けられやすい。さらにふるいにかければ、少数派で内向的な、運動部に入っていない、何らかのいじりがい―例えばニキビが少し多かったり、吃音症だったり、足が遅かったり、そのような些細なことで良い―があって、さらに酷く内気だったら完璧かもしれないが、そのような子は皆のお楽しみの一環に巻き込まれるのだ。それで私は特段ニキビが多いわけでも吃音でも足が遅いわけでもないが、入学時にある前途有望なサッカー少年の名前を間違えたせいで半年に渡るクラス全体、と言ったら言葉の綾になるが、カースト層の上位から下された暗黙の了解による、クラスからの空気扱いを受ける羽目になった。その少年の名前はヒロキとかダイキとか、そんな名前だった気がする。

 

入学してから二回か三回目の席替えで、私はクラスの真ん中の席で、水戸と言う少年の隣になった。その席は本当に教室のど真ん中にあると言って相応しく、私は生まれて初めての社会的な居心地悪さを体験した。次の席替えまでの約二か月をどう過ごすかも全く想像が付かなく、体の周り360度自分を取り囲む空気がひたすら重くなる感じがした。

 

隣になった水戸は卓球部で、クラスで余り目立つ方ではなかったが友達が少ないという訳でもなかった。なんでもそつなくこなし、成績は中の上で、美化委員で小学校からの仲の親友が二人ほどいた。絵が特に上手く、美術の授業で彼の校舎のスケッチを見た時に度肝を抜かれたくらいだったから、ちょっと彼のことは覚えていた。青縁の眼鏡を掛けている、賢そうな生徒だった。

 

だから彼が私に話しかけてきたときに、私は耳を疑った。給食の間で教室がうるさかったのもあるが、他のクラスにいる知り合い以外に私に話しかけてくる人などいないからだ。私は大の勉強嫌いで、理科や算数の話はできない。彼の好きな鉄道に関する知識も持ってない。手先が器用で技術の成績がちょっと良いくらいだった。彼が何の用で私に話しかけてくると言うんだろう?私は思わず彼の一重の両目を覗き込んでしまった。メガネのフレーム越しに見える彼の一重はすっきりしてて、嫌味がないものだった。そうしているうちに返事に戸惑っていると、彼からもう一度話しかけられる。

 

「オレンジ、いらないなら僕が貰おうか?」

 

その日の給食はカレーうどんにシーザーサラダ、オレンジフルーツだった。私はいつもオレンジを残していた。昔から苦手で、どうも食べる気にはなれない。唯一食べれないものであり、その白い筋から酸味の溢れる粒まで全て受け付けない。それを連想させるオレンジ色もあんまり好きではないのだ。自分の嫌いなものを好きな人間が世の中に沢山いるのだと改めて気付き、なんだか自分だけが離島に島流しされた気分だ。私は「ああ」とだけ言って、オレンジを彼に渡した。

 

「サンキュー」と彼は言って、おもむろにオレンジの皮を剥がし始めた。

 

「僕はこのメニューが一番好きなんだ。カレーうどんとオレンジが一番好きでさ、まじ俺得メニューなわけ」

 

オレンジの皮を剥がしきると彼はそれを自分のオレンジの皮の上に重ねた。「君はオレンジが好きじゃないんだよね?」オレンジの実をかじりながら、彼は私の額辺りを見ながら聞いた。

 

「うん、」声が口から押し出されるのを感じながら答えた。「トマトは食べれるんだけどね。カレーうどんも好きだよ」

 

カレーうどんは奥が深いんだ、」と彼はオレンジを食べきって、両手をティッシュで拭いておもむろに話し出した。「カレーの味が濃すぎても、出汁が強すぎてもダメなんだよ。僕は色んなカレーうどんを食べたことがあるけど、給食のは結構いけるよ。」

 

「カレーとうどんを混ぜるだけじゃダメなの?」

 

「駄目に決まってるよ。お茶漬けを作るのにご飯にお茶を掛けるのと同じだ。美味しいカレーうどんは、カレーと出汁が相乗効果を作るんだ。」

 

「ソウジョウコウカ?」

 

「そうだよ、ウィンウィンだ。どっちが勝っても負けてもいけねえ。助け合うんだ。」

 

「何だか言われてみると、凄い食べ物に思えるよ」

 

「すげーだろ?それはもう、和洋折衷の革命だよ。これで君もカレーうどん党の仲間入りだ」

 

「他に誰かいるの?」

 

「きみとぼくのふたりさ」

 

本当に痺れてしまうね。ちょっと気取った調子の男の子に優しくされるなど、中学生には刺激が強すぎる。私はここまでカレーうどんについて熱弁する人を見たことがなかったし、カレーうどんについてそこまで深く考えたことも勿論なかった。それよりも、彼が私に話しかけることが不思議でたまらなかった。彼は聖人か、あるいは本当はただの馬鹿なのかと私は思った。教室で空気扱いされている、孤立している人に話しかけるということが何を意味しているのか、わからない人などいない。

 

我々はそれ以降給食の時間や美術の授業で良く話すようになり、彼の趣味のジオラマ製作の話、面白いマンガの話、好きな先生や嫌な先生まで、席替えの時まで飽くことなく話し続けた。私はゆっくりクラスでの存在感を取り戻した気がした。

 

10年経った同窓会で、彼は眼鏡を外してコンタクトを付け、鉄道員として働いていた。私の中の彼はカレーうどんが好きなあの頃のまま、青縁の眼鏡のままだった。昔話を少ししたら、「そんな話したっけな」などと照れ笑いをしていた。今の彼は間違いなく昔の彼ではないし、しかし昔の彼は間違いなく彼の中にいるのだ。

 

その後も、彼のことを思い出すことが度々あった。鉄道員になった彼は、果たしてまだカレーうどんとオレンジが好きなのだろうか?私は狭いワンルームのキッチンでカレーうどんを作りながら考えた。もし変わらないものなどがあるとしたら、それはきっと記憶の中にあるに違いないと思った。あの時、彼が差し伸べてくれた手のおかげで今の自分がいるのだと、私は彼に伝える。そして記憶の中の彼は、やはり少し照れ臭そうに笑っていた。