生々流転

日々の生活

世に生きとし生けるものならば

金が好きである。通帳に刻む数字を見るのが好きだ。金の流れを考えるのが好きだ。金で人と人の間を繋げるのが好きだ。金があれば形があるものも形がないものも大方手に入る。金は信用なり。

 

夏目も好きである。一日中畳の部屋に寝転がり三四郎が門を出るまで、茶枕を抱きかかえ寝ては起き読んでは寝る暮らしがしたい。考えることは罪深き女と阿呆な男のことばかり。偶に気が向いたら絵でも描いて質素な食事で60そこそこまで生きて死ぬ。住むところはが周りの山がきれいな平屋。

 

しかしずっと一汁三菜の生活をしていると、たまに無性にフォアグラが食べたくなるに違いない。絵を描いてると、ある時には額縁が欲しくなるだろう。そして街に出るとトレンドのズボンを買いたくなるだろう。期せずに出世したかつての友人に遭遇し、今までの人生を長い林道を歩くように振り返り、似たような刺激のない光景に落胆したりしないだろうか。いざ店に入ると、喉から手が出るほど欲しいズボンが懐の届かない場所にあったりしないだろうか。のこのこと入ったお店のフォアグラの固み、豚のレバーの味がした一日で終わると同時に、きっと自分はこう考える、大人しく良き社会の歯車になっていればたいそう欲を満たせたろうにと。夏目は己の中に潜む強欲な化け物に金を与えてくれる力はない。一旦山に登ると下るのは困難だ。

 

晴れて歯車の一つになった自分は黒いペンキを身に纏い日々社会の奴隷として生きる事を誇りに思いそこそこの欲を持ちつつせかせかと生きるところが、それも短くある時また山から下りてきた好き勝手に生きるかつての友人に遭遇し、その晴れ晴れとした煩悩と無縁な顔に気づかされるだろう。紙にインクで打たれた増える数字がただの催眠術で自分はその中にどっぷりハマっており、歯車からは自らのための実りの一つや生えたことがなかった。時計を腕に嵌めて文学を辞め、筆を捨て、世に寄生して生きてきた自分の体はもはや自分のものではなく、社会というプログラムに飲まれていた。遥か高い所から未知の力が信号を出すと、ロボットのように体が勝手に動く。報酬に数字が増える。また動く。金は好きだがそれ程自分が欲しかったものかはと、夏目に問う。しかしフォアグラの味を噛み締めた者はワラビでは満足できない。

 

俗に生きれば窮屈だ。雅に身を任しても僧でない限り欲が出る。二十歳の自分は人生の岐路に立たされている。失敗はしたくないが失敗を乗り越えずに成功へはたどり着けない。何度も失敗すればいいと皆は口では言うものの人間は誰も自分の砂時計を見ることはできない。夏目と金と歯車は違う座標系上にある。とにかく世の中は生きにくい。