文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

ストレイシープ

passive(受動的)とpassion(情熱)は同じ語源らしいです。

 

何かに情熱的になれるのは、何かに取り憑かれてる状態であり、自主的になにかをしようってわけではない事を示しています。

 

無意識に何かに取り憑かれると、人はそれに悩み、そして無我夢中でそれに取り組めるようになるのです。

 

その何かは自分から探すだけでなく、向こうからやってくる事、つまりある種の「縁」も大事だと私は考えます。

 

しかし、そんな事は果たしてあったのか。あったのかも知れない、でも長続きした試しがない。そんなの、全然取り憑かれてないじゃない。やるべき事がわかってないじゃない。

 

高校の在学中に民俗学にはまったのは文理選択の後で、大学で自分で勉強しようとするも買った本は積めるばかり、進路選択で精神医学に興味が湧くも医学部受験に耐えられず、兼ねてから生物を専攻しようと考えてたので第二志望の地球科学科に入るも第一志望の学祭を見て妬むばかり。絵が好きなのは口先だし油絵の具は開封してない。

 

こんなに好きな事が沢山あるのに、何一つ好きではないのではなかろうか。何一つに取り憑かれてないじゃないか。全部全部やろうって思っても、この体はそんな事が可能なのか。そんな言い訳を考えてる時点で無理な話ではないか。

 

計画してるといつの間に結果が出てしまった。そんなのまるで高校の時じゃないか。自分らしく生きる事は辛かろう。事を成すことの辛いことよ。己の性分を恨むばかり。