文鳥とピアノ

少しだけお付き合いください

観覧車で捕まえて

19歳、私は上京して、小さめのアパートに住むことになった。初めてその場所を訪れたとき、私は都会から少し離れた、あんまり辺鄙ではなく、かといって賑やか過ぎないその町のことが気に入った。通りかかる通行人の少し呑気な顔や、街角でうろつく大儀そうな野良猫、点在する公園とちょっと多すぎるカラスは自分の性に合っていた。私はその町のことが割と好きだった。

 

何よりも、その町には大きな観覧車があった。朝の通勤路や昼の買い出し、夜のランニングまで、観覧車はいつも決まった方角で、決まった速さで回っていた。平日も休日も休むことなく、雨の日でも炎天下でも、月が掛かったりしても全く気にしない風に回っていた。私は昔から観覧車のことが好きだった。一度も乗ったことがなかったが、その壮大さや悠然とした時間の流れに非常に惹かれていた。私はこの町をいつか出るまでに、その観覧車に乗っててっぺんから街を、海を、自分の住む世界の在り方を全部見尽してやろうと思った。できれば好きな女の子と一緒がいいな…とか思ったりした。

 

私が22になった頃、いい感じの女の子がいた。それはあくまでもいい感じの関係であって、それ以下でも以上の関係でもなかった。私たちは偶に飲みに行き、終電まで語って夜道を一緒に歩いた。彼女は終電を逃さない人間なのだ。

 

ある夜、私達が駅まで歩いていると、丁度目の前にライトアップされた観覧車があった。随分遅くまで回っているなと思って私がぼんやり見ていると、彼女は確か、「なんでみんな、あんなものに乗ろうとするんだろうね」と言った。あるいは「誰があんなものに乗りたいんだろうね」と言ったのかもしれない。どっちにしろ言ってることは同じだ。彼女はそういう口調を持った性格で、そういう乗り物に好んでは乗らない質なのだ。「高い所が見たいからじゃない?」と私は適当に答えた。私は好きなんだけどなあ、観覧車。「そんなもんかあ」と彼女は言って、私たちはそれ以降何も話さなかった。

 

翌日、結果として、私は観覧車に乗ることになった。仕事帰り、ふらついていたらたまたま通りかかって、丁度暇だったのだ。私は単純な好奇心で一人で切符を買い、ひとりで階段を上り、ひとりでゴンドラを待った。スタッフはひとりで観覧車に乗る客を見てもそれほどおかしな顔をせず、前のカップルと寸分違わぬ調子で私を案内した。口角の上がり方までが自然そのものだった。一人で観覧車に乗る客はそう珍しくないのだろうか?彼らはそれぞれ何を思って一人で観覧車に乗るのだろうか?どんな気持ちでゴンドラに踏み入れ、どんな気持ちで戻ってくるのだろうか?

 

ゴンドラは狭いとも広いとも言えなかった。席のペンキは少し剥げた部分があり、窓ガラスは汚れや傷がついていた。私が道を歩く人間の顔や、ビルの看板、港の船などを眺めているうちに、あっという間に観覧車の頂に辿り着いた。あっという間過ぎてほとんど気付かないくらいだった。街の景色は予想を超えなかった。そこは私がいつも住んでいる町であり、少し遠くに海があり、その先は見えなかった。陽が落ちるせいか町は少し薄暗かった。私は何ひとつ町について、自分について新しく発見することができなかった。それはいつもの町であり、自分の住む日常であり、それ以上何も私に与えてくれない。自分が高い所に居る自覚もなく、そこが本当に頂点なのか確認する間もなく、ゴンドラは反対側に落ちていった。私は空中から町に落ちていくのを感じた。落ちるときのスピードは、登るときよりもさらに、何倍も速かった気がした。そして私は来た時のプラットホームに戻り、スタッフに少し先に見たものと同じ笑顔で迎えられ、同じ足取りで家路についた。

 

あれからいい感じの女の子とは疎遠になり、町も日に日に色褪せていた。私は観覧車が目につかなくなり、日常から一つ星が消えたのに気付いた。私は何がなんでも、あの時に観覧車に乗るべきでなかったのだ。うまく言えないが、私はまるで何年も丹念に描いていた絵画を、いかにもミーハーっぽい中年の太った女に何度も値下げ交渉されて、安値で売ってしまったようだった。

 

多分私は、自分の中の観覧車を現実から守る必要があった。ちょっとひねくれた女の子や、日常の退屈、無感情になっていく自分とか、誰からも暴力を振るわれないひっそりとした離島に隠してしまわなくてはならなかったのだ。小さい頃の夢とか、初恋とか、思い出のレストランとか、ふるさととか、そういうもの全てを。私は今までどれだけの夢を侵食されてしまったのだろうか。そしてこれからも様々な大事なものが失われ、運が悪かったらボロボロに砕けたまま、頭にこびり付くのだろうか。私は私の理想を全力でこの薄暗い現実から守り抜かなければならなかったのだ。 

 

あなたの夢は守られていますか?

 

 

 

迷いとか決断とか

自分は一人ベルトコンベアの上に居る。

いつからそうしているか覚えていない、誰かに言われているのかもしれないし好きで乗ったのかもしれない。とにかくベルトコンベアから下りることができない。できないと言うよりめんどくさいのだ。下りたら完全に行くべき方向がわからなくなってしまう。だから決まった方向に進むベルトコンベアはすごく楽ちんでいい。

私は胡坐をかいて座っている。ベルトコンベアは午前4時の森のように静かに回転している。始点は見えず、行く先の見えない、周りが霧に囲まれているけど、そんなに不安をそそる霧ではなかった。どちらかと言うと、子守歌のように緩やかで、羊水のような温かみがあり、温泉の湯気のようなものだった。私はベルトコンベアの上で寝ころびながら考えた。それはきっとどこかに行き着くはずだ。一つの方向に、自分の求めているものかどうかは確信できないが、そこに行き着けばそれを受け入れようと思っていた。

 

ベルトコンベアは音も立てずに回っている。ゆったりとした広さのあるベルトの上に居ながら自分は心地の良さすら感じていた。周りの風景は絶えず変化し、偶に猫までやってくる。春にはうららかな陽が差し、夏にはスイカ畑を通り、秋には銀杏の葉を集め、冬にはベルトの上にささめ雪が積もった。しかし自分の周りにはいつも薄い霧に包まれていた。霧はしつこくベルトコンベアに付きまとい、何かの生物の集合体のようでもあった。

 

ある寒い冬の早朝に、私が深い眠りから浅い眠りへ、そしてあやふやな目覚めに囲まれた間に、今まで自分の四面を囲んでいた霧が突如と煙のように消えていたのだ。視野の広まりに追いついていけなかったが、立ち上がり恐る恐る周りを見ると、自分はどうやらとてつもなく高い崖、城壁のようなものの上を移動していたことが分かった。は、慣れた方向は万里の長城のように遠く、壁の上に春の草原があって、夏のスイカ畑があって、秋の枯れ葉が積もり、冬の雪が残されていた。壁面には針葉樹が所々思わぬ方向に向いて生えており、森や林を成している。さらに壁の下を見ると…水のようなものが見えた気がした。というのも、水はひどく透明であり、そこに水の存在を気付かせないくらいの静かな水面があるからだ。自分でも良く晴れた晴天では辛うじて水面に映る青と、白くて細い雲が見えたが、荒れた日や霧が重くなると一気に崖の下が見えなくなるのだ。そうゆうときは、針葉樹がざわつき、風が吹き荒れて大体下を見る気にもなれないけれど。

行く先をよくよく見ると、今度は100メートル程先に霧がかかっていた。そこには一つの塔があり、それが隠れるか隠れないかのところに霧がかかっている。100メートルと言うのは、100メートル走で速くて15秒、歩いて3分程、ベルトの上で10分程だ。私は急に恐ろしくなった。今まで崖の上にいたなんて夢にも見なかったからだ。この先には何があるのか、もしかしたら崖の端が塔の先にあるかもしれないと思ったら、恐ろしくて身震いがした。私はベルトコンベアから下りようとしたが、体は金縛りのように固くベルトの外に踏み出すことができなかった。その感覚は昔、嫌で乗ったジェットコースタが発進したときの恐怖や、落とした茶碗が割れると気付いた瞬間のような、何度も経験してきた、一種の後戻りのできない絶望を全身で味わうものだった。…どうして10分で辿り着く先なのに、朝と夜がやってきて、この時間が永遠に続くような錯覚に堕ちるのだろうか。ベルトコンベアは間違いなく、スピードを落とさずに進んでいる。100メートル先も、間違いなくそこにある。塔は動かないし、霧は後に引かない。夢と目ざめは変わらずやってくるのに、どうして時間がますます輪ゴムのように、茹でられた麺のように伸びていくのだろう。

この地獄が速く終わってほしいと願えば願うほど、私には戦う時間を余儀なく残されることになった。誰がこんなことを仕込んだのだ?何一つ決断をしてないように見せかけて、ベルトの上に残ると決断した自分のせいだろうか?私には今から戦う自由があるし、戦わないことを選択する自由もある。しかしその自由は、選択する前より、自分自身が持ちうるものだったのだろうか?私にはどれだけの可能性が残されていて、どこまでの有限性を含んでいて、その程度は、いつ、どのようにして、誰に自由と定義されたものだったのだろうか。

私は自分の体と格闘し、何とかそこから一歩を踏み出そうとした。全身を大の字に伸ばし、どこまでベルトからずれる事ができるか試してみたりした。逆走を試みたり、周りに落ちてるもので、崖から落ちた時に使えそうな縄や枯れ木を探したりした。そういうときに大体壁の下の水面が酷く濁って、自分の一挙一動を映した。私は遠くに映る自分の影を見て、ひどく阿呆らしくなった。私はなにと戦っているのだろうか?国か、社会か?人の目か?それとも自分の頼りない自尊心か?敵はどこにいるのだろうか?そもそも、敵などいるのだろうか?静かに目を閉じると、小さい頃に遊んでいた水車の事をよく思い出した。水車はただそこに居て、水を汲み、周り、また水を汲む。川がそこにある限り、水車は回り続ける。私はひたすらその様子を眺めるのが好きだったのだ。

何もかも諦めた日は、偶に晴天が現れ、城壁にはツバメが巣を作っていたりした。こんな日がいつまでも続けばいいと思った。しかし夜になると再び恐怖が訪れ、私は眠れない夜に周りの音に耳を立て、敵の一挙一動に神経を巡らせていた。

 

そうしているうちに私は塔の下に来た。それはいきなりだった。気付いたときには何もかも終わっていて、私がしてきたことは全て何てことのなかったように、遠く向こうの壁の端に記憶がこびりついていて、私はそれを拾うのを忘れたようだ。ひどく混乱していた気はするが、細かい事はほとんど覚えていない。

塔は目近で見るとそれほど立派なものでもなかった。橋から見たタワーブリッジの半分くらいの高さで、上が円錐型になっている。城壁と同じくらいくすんだ色で、塔と言うよりも、丁度亀の甲羅のように、城壁の骨格が何らかの原因で上まで延び、塔の形を成した建物になっているだけだった。私は前にも何度か、このようないびつな建物の下を通過したことがある気がする。赤レンガのきれいな塔で、ドームの先端に旗が付いている城塞のようなものもあった。しかしそんな印象や記憶は今となって、あんまり大事ではないように思えた。

私の身が塔に近づいたとき、塔は私にこう言った

 

「よう、いらっしゃい。そして行ってらっしゃい。君は何かを選択したように見えるが、その決断は一つの過程に過ぎず、これからも迷うことになるだろう。健闘を祈る。」

 

塔は何ともない風に、歯切れ良くそう言った。もし人間だったら、きっととびっきりの営業スマイルを浮かべていただろう。そして今まで沢山の人間が、塔の下を通て来たのかもしれない。ヨーロッパのお姫様が住む立派な塔にせよ、みすぼらしい犬小屋のような塔にせよ、塔かどうかも分からない何か大きな壁が崩れた跡にせよ…私たちは皆、そこを通て来た。どの塔も変わらず、歯切れの良い発音で、いらっしゃい、行ってらっしゃい、ご健闘を祈りますと言う。そしてこれから先、何度もそれらと戦わなければいけない…塔や、城壁と、ベルトコンベアと。水面上の自分も、水面に映る影も。

 

塔の先には霧がなかった。そこは断崖でもなかった。その先に城壁はひたすら続いていて、また新たな水面上の世界になっていた。

 

 

 

▼迷う主人公といえばこれ。

三四郎

三四郎

 

 

変わらないものについて


中学校の同級生の話。

 

多くの田舎の中学校と変わらず、私が通っていた所も随分閉塞した環境であった。一学年には四つのクラスがあり、一クラス30人と言ったところだ。往々にして小学校で馴染みが出来上がってた連中ばかりで、外地から引っ越してきた子や少数派の小学校出身の子は肩身が狭かった。私は丁度少数派を占める小学校の区画地域に住んでいたが、あと一丁や二丁違っていたら多数派の仲間入りをしていたわけだ。

 

大方の予想通り、いじめの標的というのはこのような少数派に向けられやすい。さらにふるいにかければ、少数派で内向的な、運動部に入っていない、何らかのいじりがい―例えばニキビが少し多かったり、吃音症だったり、足が遅かったり、そのような些細なことで良い―があって、さらに酷く内気だったら完璧かもしれないが、そのような子は皆のお楽しみの一環に巻き込まれるのだ。それで私は特段ニキビが多いわけでも吃音でも足が遅いわけでもないが、入学時にある前途有望なサッカー少年の名前を間違えたせいで半年に渡るクラス全体、と言ったら言葉の綾になるが、カースト層の上位から下された暗黙の了解による、クラスからの空気扱いを受ける羽目になった。その少年の名前はヒロキとかダイキとか、そんな名前だった気がする。

 

入学してから二回か三回目の席替えで、私はクラスの真ん中の席で、水戸と言う少年の隣になった。その席は本当に教室のど真ん中にあると言って相応しく、私は生まれて初めての社会的な居心地悪さを体験した。次の席替えまでの約二か月をどう過ごすかも全く想像が付かなく、体の周り360度自分を取り囲む空気がひたすら重くなる感じがした。

 

隣になった水戸は卓球部で、クラスで余り目立つ方ではなかったが友達が少ないという訳でもなかった。なんでもそつなくこなし、成績は中の上で、美化委員で小学校からの仲の親友が二人ほどいた。絵が特に上手く、美術の授業で彼の校舎のスケッチを見た時に度肝を抜かれたくらいだったから、ちょっと彼のことは覚えていた。青縁の眼鏡を掛けている、賢そうな生徒だった。

 

だから彼が私に話しかけてきたときに、私は耳を疑った。給食の間で教室がうるさかったのもあるが、他のクラスにいる知り合い以外に私に話しかけてくる人などいないからだ。私は大の勉強嫌いで、理科や算数の話はできない。彼の好きな鉄道に関する知識も持ってない。手先が器用で技術の成績がちょっと良いくらいだった。彼が何の用で私に話しかけてくると言うんだろう?私は思わず彼の一重の両目を覗き込んでしまった。メガネのフレーム越しに見える彼の一重はすっきりしてて、嫌味がないものだった。そうしているうちに返事に戸惑っていると、彼からもう一度話しかけられる。

 

「オレンジ、いらないなら僕が貰おうか?」

 

その日の給食はカレーうどんにシーザーサラダ、オレンジフルーツだった。私はいつもオレンジを残していた。昔から苦手で、どうも食べる気にはなれない。唯一食べれないものであり、その白い筋から酸味の溢れる粒まで全て受け付けない。それを連想させるオレンジ色もあんまり好きではないのだ。自分の嫌いなものを好きな人間が世の中に沢山いるのだと改めて気付き、なんだか自分だけが離島に島流しされた気分だ。私は「ああ」とだけ言って、オレンジを彼に渡した。

 

「サンキュー」と彼は言って、おもむろにオレンジの皮を剥がし始めた。

 

「僕はこのメニューが一番好きなんだ。カレーうどんとオレンジが一番好きでさ、まじ俺得メニューなわけ」

 

オレンジの皮を剥がしきると彼はそれを自分のオレンジの皮の上に重ねた。「君はオレンジが好きじゃないんだよね?」オレンジの実をかじりながら、彼は私の額辺りを見ながら聞いた。

 

「うん、」声が口から押し出されるのを感じながら答えた。「トマトは食べれるんだけどね。カレーうどんも好きだよ」

 

カレーうどんは奥が深いんだ、」と彼はオレンジを食べきって、両手をティッシュで拭いておもむろに話し出した。「カレーの味が濃すぎても、出汁が強すぎてもダメなんだよ。僕は色んなカレーうどんを食べたことがあるけど、給食のは結構いけるよ。」

 

「カレーとうどんを混ぜるだけじゃダメなの?」

 

「駄目に決まってるよ。お茶漬けを作るのにご飯にお茶を掛けるのと同じだ。美味しいカレーうどんは、カレーと出汁が相乗効果を作るんだ。」

 

「ソウジョウコウカ?」

 

「そうだよ、ウィンウィンだ。どっちが勝っても負けてもいけねえ。助け合うんだ。」

 

「何だか言われてみると、凄い食べ物に思えるよ」

 

「すげーだろ?それはもう、和洋折衷の革命だよ。これで君もカレーうどん党の仲間入りだ」

 

「他に誰かいるの?」

 

「きみとぼくのふたりさ」

 

本当に痺れてしまうね。ちょっと気取った調子の男の子に優しくされるなど、中学生には刺激が強すぎる。私はここまでカレーうどんについて熱弁する人を見たことがなかったし、カレーうどんについてそこまで深く考えたことも勿論なかった。それよりも、彼が私に話しかけることが不思議でたまらなかった。彼は聖人か、あるいは本当はただの馬鹿なのかと私は思った。教室で空気扱いされている、孤立している人に話しかけるということが何を意味しているのか、わからない人などいない。

 

我々はそれ以降給食の時間や美術の授業で良く話すようになり、彼の趣味のジオラマ製作の話、面白いマンガの話、好きな先生や嫌な先生まで、席替えの時まで飽くことなく話し続けた。私はゆっくりクラスでの存在感を取り戻した気がした。

 

10年経った同窓会で、彼は眼鏡を外してコンタクトを付け、鉄道員として働いていた。私の中の彼はカレーうどんが好きなあの頃のまま、青縁の眼鏡のままだった。昔話を少ししたら、「そんな話したっけな」などと照れ笑いをしていた。今の彼は間違いなく昔の彼ではないし、しかし昔の彼は間違いなく彼の中にいるのだ。

 

その後も、彼のことを思い出すことが度々あった。鉄道員になった彼は、果たしてまだカレーうどんとオレンジが好きなのだろうか?私は狭いワンルームのキッチンでカレーうどんを作りながら考えた。もし変わらないものなどがあるとしたら、それはきっと記憶の中にあるに違いないと思った。あの時、彼が差し伸べてくれた手のおかげで今の自分がいるのだと、私は彼に伝える。そして記憶の中の彼は、やはり少し照れ臭そうに笑っていた。

アンビバレンス

私の中には多分、大きな背反が相克しながら住んでいる。平手友梨奈がふらふらと終わりのない小径の壁にぶつかったり倒れたりするように、今までにない大きな力が要る作業に取り掛かっている。

 

自分の現実と夢の背反、他人への感情の背反、外向性と内向性の背反。沢山の矛盾が衝突し、降伏し、また生産され、私は自分が大きな精神的な節目にあることを知る。

 

大人と子供の間、男性と女性の間、理系と文系の間、古典とモダンの間、純文と大衆の間。

 

様々な選択肢が耳を澄まし、闇の中でわたしの理路脈略を監視し、矯正しては破壊する。

 

「破壊的創造の時間ですよ、少年」

心の中の大人がそう言う。

でも私はもう少年ではない。ホールデン・コールフィールドのように迷える年でも環境にもいない。やるべき事は現実において行かれないように夢を再構築、置き換え、時によっては破壊することであり、感情を論理で仮止めすることであり、笑顔を武装して中身を少しでも隠すことである。

 

アイデンティティを考てる時間などない、未来は特急電車のように自分を通り抜けて過去と混ざり合う。発芽の時期に間に合わなかった種は二度と芽を出せなくなるし、最終電車に乗り遅れたら家まで歩いて帰るしかない。

 

「そうだろうか?」

心の中の少年が問いかける。

私はこの先も大人の振りをして生きていくかもしれない。でも今のままではいられない。ライ麦畑に住むことはできない。ここは崖から落ちてでも挑まなくてはならないポイントなのだ。じゃないと私は21歳の時間に閉じ込められてしまう。現実だけが進み、夢はひたすら深みを増し、自分が両方のズレに圧迫されてしまう。

 

「力業でどうにかできる問題ならいいんだけどね」

そして私は深い深い眠りについた。自分の夢を訪ねるように。

 

 

▽好きな曲 

アンビバレント(通常盤)

アンビバレント(通常盤)

  • アーティスト:欅坂46
  • 発売日: 2018/08/15
  • メディア: CD
 

 

敏感肌

私は今ベッドの上に仰向けになっている。頭の下にはザラザラした髪の感触とひんやりした枕カバーと頭の重みのせいで凹んだ枕。

布団が体の上に被さっている。空気を含んだ厚い羽根布団だ。さらに布団の上には、脱いだジャージとズボンの重みが微かに感じられる。

手は腹の上に重ねてある。呼吸に伴う脂肪の浮き沈みを手で少し抑えながら、腹巻の毛玉と繊維の感触を確かめている。私は腹巻をしていて、腹巻の下には肌着を着ている。下はトランクスと短パンだから、冬にしては寒過ぎる格好だ。でも1ミリでも動けば身体中から熱が空気中に逃げてしまう気がして、じっとしている。

背中で肌着の盛り上がった縫い目と柔らかい生地が皮膚に押し付けられる。髪が何本か首周りの皮膚に突き刺さるのを感じている。腕や脚の周りにはシーツの繊維か体毛がうごめきまるでダニが何匹も這い回っているようだ。足で動き回っては手の甲でも応えるようにコソコソと毛穴のいとつからもうひとつへと移動したり、太ももと短パンの間で跳ね上がったりしている。顔で静かに冷たい空気を受け止めながら、身体中は大忙しで全く落ち着きがない。ついに足の裏にチクリとチクリとしたこそばゆさが起こり、ひとつ寝返りをうった。今まで保ってきた等身大の温もりは、一瞬で抜け落ち、肩からふくらはぎまで神経が波を打ちながらビリビリと震えた。

明日シーツを洗ってみよう。布団カバーも。そう思いながら、また触覚との戦いが始まった。

 

2021.5月追記

ニトリの冷感布団カバーに変えたら肌がゴワゴワしなくなった。

冬も愛用してます。

 

手をはなそう

男は冬があんまり好きじゃない。

枯葉の匂い、透きとおる風、空と木のコントラストの全てがほかの季節と同じくらい趣深いけれど、なんとなく訳のない気だるさに見舞われることが多かった。朝起きると鈍い光がカーテンの隙間から漏れ出て、重い布団が体に負い被り、手や頭を少し動かしてみると、一日の終わりのような始まりを迎える。

 

大学を卒業し、やっとの思いで希望の職種に就くことが出来た。不眠の街をふらふら歩きながら空いたビール缶を振らし、プログラミングされたように見知らぬ夜道を辿って帰る毎日だ。夢とうつつがはっきりしないままベッドに潜り込み、何度も死んでは生き返る。

 

鉛のような体をベッドからずらし、頼りない両足を床に着けた。クローゼットの引き出しから黒いトレーナーを引っ張り出し、そのままパジャマの上に被せる。朝飯を食べるのも億劫なので、湯沸かし器を途中で止めたぬるま湯を胃に流し込む。暑くも冷めてもいない液体が身体中に広がり、腹が少し重くなる気がした。光の射す方を一瞥し半開きのカーテンを閉めるか開くか迷ったが、そのままにしておいた。6畳の部屋は明るくも暗くもなく、青色がかったねずみ色に見えた。

 

近くから中学校の予鈴が聞こえた。時刻は9時ちょうどで、もう会社に間に合う時間ではない。テレビを付けてみたが、近頃同じニュースばかり流れている。どこの誰かが死んで、偉い人が失脚して、春一番がどうのこうの。でもそんなことも、やがて全ての人間に忘れられるだろう。

男はテレビを消し、再びベッドに倒れ込んだ。

 

手をつなごう

大学はそんなに嫌いではない。

一年生の頃は好奇心旺盛で色んな授業を取っていたし、二年生には単位のほとんどすべてを取り終え、今や残るは卒論のみ。講義に対して興味が尽きることはなく、良き理解者でもある友達に恵まれ、金銭には困らない。

 

だが私は、大学を良く休むことになった。

取っている講義の数が激減したことや、一人で授業を受けるようになったこと、空気が合わない研究室、青年期特有の自意識の寄せ集めのような部室、引き籠り気味な親友。それらすべてはきっかけに過ぎない。本当の理由は心の奥底に埋められていて、未だ萌芽しない、するかもわからないが、したら鉢ごと崩れ落ちそうな危うさを抱えている。

 

しかし社会人へのカウントダウンは刻々とそれを促し、無情な時間の流れが私を内なる方へと追い詰めるのを感じた。心の中の種は戸惑いと反感とかつてない生き難さを誘い、朝を迎える事すらままならない。世間にそれを、モラトリアムの一言で片づけられるのは、あまりにも悔しい。

 

だから、全部天気のせいにしよう。夜の海を見つめすぎるのは、星がきれいだから。外に出たくないのは、北風が冷たいから。目の前のものが良く見えないのは、陽が眩しいから。

 

うまく生きられないのは、空が灰色だから