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生々流転

日々の生活

Thinking Time

気まぐれに立ち寄った本屋で気まぐれに立ち読みした啓蒙書の話です。

 

私は啓蒙書が嫌いな方です。嫌い、と一口では言えない感情かもしれません。本来私は自己啓発系が大好きなのです。中学のころなんかは、『チーズはどこへ消えた』、『これから正義の話をしよう』、『君たちはどう生きるか』など、啓発ってほどではないが哲学する本を沢山読みました。将棋名人の羽生さんも本を出していて、彼の本も三冊程読みました。病院で『バカの壁』を見かけたらどの本よりもそれに手を出してしまう。それほど、今も思わず買ってしまいそうなくらい好きなのです。

 

なぜ嫌いかというと、どれも期待外れだったからです。それは内容に対してではなく、内容はどれも思う以上に面白く有意義で、読んだ後はいつも視野がパッと開ける感じがするしためになったと思うが、私が求めてるほどそれらの本は私の人生に多大な影響を与えなかったからです。それらの本は閉じてから三分したら頭が平静になり、三時間後には本の言葉は意味を失い、三日後には完全に忘れてしまいます。もしかしたら小説も新書も、どんな本もそうかもしれないが、私は往々何かを期待して啓蒙系の本を購入するので、変わらない現状に、あるいは変えようとしない自分にがっかりするのです。まあつまるところ、すべて自分のせいなのでしょう。

 

よっていつからか私は、買わなくなったのです。タイトルだけ見て独断と偏見で買わないようになりました。どうせ読んでも変わらない、意味がないと勝手に決めました。嫌われる勇気、幸せになる勇気、勝手にそれを読んだ自分の結末を想像して、いまだに読んでません。そうして段々、本に限らず何かを買おうとするときに、私は「それを手に入れた自分」を想像せずにいられなくなりました。コンビニのお菓子も、きれいな洋服も、面白そうな本も、すべて、それを買った後の自分は幸せそうか、すぐに飽きてしまうか、無駄にならないか、考えます。大概長い間悩んで買わないことにする。金に困っているわけでもありません(少しケチだけど)。きっとそのせいで誰とも付き合えなくなるんでしょうね。

 

さて、気まぐれに立ち寄った本屋で気まぐれに立ち読みした啓蒙書の話をしよう。精神科医が出した本でした。こんな本受験期に結構読んだのになんで今更読もうとしたのだろう。目次をぺらぺらとめくって一通り読んで、気になったところを詳しく見るのが自分の立ち読みのスタンスです。そこで目にしたのは、継続する方法。継続できる筆者は、やり通そうなんて考えてない。いつも今のことしか考えてない、その結果が継続となった。それが「今を生きる人」。続ける結果を考えてもモチベーションは保てるが、たまにそれはすごくしんどい。理想との差を目の当たりせずにはいられなくなり、続けられない、結果ばかり気にして今をもまともに生きられない。それは「未来を生きる人」。未来ばかり考えていると、未来は来なくなる。今も掴めなくなる。それは私にぴったりでした。

 

結局その本も買いませんでしたけど。とりあえずこれからは好きなものを買ってみよう、興味あることも始めてみよう。この気持ちももう少ししたらまた忘れてしまうのかな。近い未来を考えながら私は今を生きたいと思った。

 

ムダにならない勉強法

ムダにならない勉強法

 

 

雨が降るりそうなじめじめした冬の日に、不意に襲ってくる懐かしい空気を追いかけたその先にあるものは

 

小さい頃に住んでた都市の空の記憶と

少し古くなった石造の家

埃っぽい道路の脇を歩いてる情景

温泉旅館の廊下を歩いてる気怠さ

 

それらは全て自分の中にあるはずのものなのに

なにかの五感の刺激がないともう引き出せない

悲しいほど愛おしい過去の記憶

 

マドレーヌを紅茶に浸した一瞬の香りと共に去る

 

 

 

 

 

 

 

夢Ⅱ

日ごろ自分が考えていることの答えは、偶に夢となって出てくる。

いいや、もしかしたら答えという程のものじゃないかもしれない。何気ない手がかりとか、小さなヒントのようなものだ。

電車に揺られうたた寝したり、本を片手に意識が朦朧とした時、尋常の道路を歩いてると我知らずに道端に逸れて、眠りという浅い池の中へゆっくり入り込んでいく、そのような気持ちである。

夢の中で誰かが繰り返し何か大事なセリフを言ってたり、宇宙のような無の暗闇の中で自分が何かを呟いてたり、私はとにかくそれらのことを覚えられるように繰り返し何度も、夢の中の主人公に言わせるのだ。

不思議なことに夢から覚めると、池から出たばかりだと裾は辛うじて濡れているものの、瞬く間に記憶はすべて水のように蒸発してしまう。池にある砂金を何度も掴もうとするものの、両手に残った微かなものさえ水とともに指の隙間を通って跡形もなく消えてしまった。さらにくみ取ろうとするも空振りするばかりで気づいたらいつもの道路の上を歩いていた。

そしてまたいつか、会える日まで。

弱音

 

顔を覚えられないのは興味がないから。

 

何も成し遂げられないのは怠け者だから。

 

目標が見つからないのは自由過ぎたから。

 

勇気を出せないのは考え過ぎたから。

 

そうやって答えは分かっているのに解決できないのは、何故だろうか。

 

 

『門』夏目漱石

角川文庫を読んだのだが、本の背面のあらすじがあまりにもネタバレだった。それからと同じくどうしてもあの表紙が好きだったから本屋を探し回った。もうほとんど残ってない様だ。

 

『それから』に続いて、人妻を奪った主人公のその後をほのめかす作であった。主人公の過去は必ずしも『それから』の主人公と一致しないが、時系列的には噛み合っている。大まかに言えば一見平和に暮らしてる夫婦の心底にある罪の意識と、悟りを開く事の難しさがテーマである。主人公と年齢的に離れすぎているので色々難しくて気持ちが分からない。しかし自分から見ると主人公は一応就職しており罪の意識にうなされるものの奥さんとはラブラブで暮らしにも不都合がない、偶に子供がいなくて寂しかったりするがなんと平和でハッピーエンドなのだ。

 

それでも宗介は友人の消息を聞いて過去の罪の意識が鮮やかに蘇り現実逃避で悟りを開きに行くが当たり前のように失敗して帰ってきた。「門」は悟りの門という意味もある。罪から逃げていたはずなのにいつの間にか罪悪が目の前に立っている。春になったけどまたじきに冬になる。そんな感じで物語は閉まりました。

 

夫婦がイチャイチャしてる日常が本の半分以上もあるんだから(時折暗黒面を匂わせているが)凄くのんびりに見えます。なんだか一番よく分かりません。私に悟りとか罪悪感とかは早すぎたようです。

 

 

門 (角川文庫)

門 (角川文庫)

 

 

 

 

不思議な夢を見た。

私は夜電車に乗っていて、帰路についていた。電車の中は空いていて、席が所々空いていた。しかし降りるはずの駅には違う名前の駅が出来ていて、それを過ぎても家から遠ざかるばかりだった。私は家に帰れないまま、逆方向の電車に乗り、世の中に何が起きているのか見ようとした。しかし皆は至って普通に生活していて、迷いなく問題なく、乗るべき電車に乗り降りるべき駅に降りることが出来るのだ。たまに降りるとそこは懐かしい風景ばかりで、果たしてそれが幼い頃の記憶なのか夢で見た風景なのか分からなくなった。周りの人に道を聞くもみんな知らないと言う。最後は知らぬ住職が、ただ女の人が森の中に立っている意味を表す漢文を教えてくれた。

夢から醒めるとただひたすら懐かしく、どこかそぞろ恐ろしい気分だった。

川を渡る人

渡瀬が病室に入ると、白い病床が疎らと灰色の無機質な壁が目一杯広がった。部屋には消毒の臭いと病人の臭いが混ざりあって鼻から伝わって体を刺激する。部屋に置いてある窓際の病床に彼女は上半身を起こして座っていた。きちんと整えられた黒髪に水色がかった病人用のパジャマ、そしてそれに染められたかのごとく彼女の肌は少し青白かった。淀川久留美は窓の外を眺めていて、こちらがドアを開ける音を聞くと振り返った。

 

思えば淀川は教室にいた頃もひたすら窓の外を眺めていたのだった。目には時に蒼い秋空を映し、時に白い泡沫のような雲を流した。そのうちこちらのうつつと夢の境目もぼやけ、果たして彼女の目が窓の外を見てるのか、窓が彼女を見てるのか見分けがつかなくなった。はと我に返るとき、もしかしたら彼女は窓の外が見たいのではなくてただ自分の目に空を、雲を映したいだけなのではないか推測した。彼女は何を思っているのだろうか。昨日のことか、それとも明日のことか。そうして僕は、彼女に明日がないことを知った。

 

「私しばらく、学校来れないかも」

 

そう彼女に告げられた九月の下旬の翌日、彼女は教室の窓際の席、丁度斜め前あたりの、午前10時の陽射しが丁度彼女の紺色のセーターに落されるあの席から、ふと姿を消した。次の日もまた次の日も、窓の隣に彼女はいなかった。彼女の目に映される空も彼女に連れ去られた。教師の『体調不良』 と言う簡潔明瞭な知らせは僕の脳内を暫く徘徊した。彼女のいない教室はいつものように時が進み、いつものように授業が始まり、いつものように午前10時の陽射しが机にかかる。一週間、二週間が経っても彼女は遂に来なかった。

 

思えば淀川久留美と初めて会話したのは夏休みが終わった後の美術の素描の授業だった。同じクラスではあったが人を寄せ付けない雰囲気と性格のせいでクラスでは少し浮いていた。入学当初はそこそこ整った顔立ちから女子から昼食の誘いもあったがどれも自ら断ったらしく、滅多に笑わないため心情が読み取りにくいと関わった子は誰も彼もそう愚痴をこぼしていた。次第に業務連絡以外で絡む女子はいなくなり、一方で男子の間でか弱そうな体幹と黒いストレートの清楚なシルエットで何人かの心を密かに揺さぶっていたそうだ。

 

 

授業で人物画のデッサンをすることになった。番号順で前後がペアで組むことになっていてお互いのモデルを務める恥ずかしさ極まりない作業である。特に男女のペアは初めは見ている方も見られている方も決まり悪そうに目を逸らしたり、一方で男同士の所はふざけて眉を濃くしたり鼻毛を足したりしていた。なんて平和で微笑ましい風景なのだ。

「そういやお前、美術のペア淀川さんとらしいじゃないか」

日野はニヤニヤしながら、弁当箱の小ぶりのハンバーグを丸ごと口に押し込んだ。

「まあそうなってしまったよ」

「いいなあ、俺も淀川さん描きてえ」

そう言った日野は下を向きながら、昼食に夢中なようである。日野は淀川を少し気に入ってる。あんなさっぱりとした女子はそういない、もうちっとだけ笑ってくれたら完璧だと昔言ってた事がある。日野は右横の席に座っているから、挨拶以外もよく口を聞いてくれる。元々友好的な性格もあって、絵しか描けない陰気な僕にも話しかけてくれるのだ。

「好きと描けるのは別じゃないか」

「好きなら少なくとも描く意欲が湧くさ」

「お前のペア誰?」

「吉河だよ、男同士じゃつまんなくてしょうがない」

「誰も描く分には同じだよ」

「違うに決まってるだろうが、画にするなら女子に限るぜ、なんなら描かないで見てるだけでもいい」

「バレたらぶん殴られるぞ」

「それはそれでいい」

「はあ」

「でも相手がお前で良かったよ、後で描いたやつ俺に見せておくれ」

「上手く描けるか分かんないけどなあ」

「平気さ、後でちょいと見せてくれよ」

男子高校生らしい話をしながら、心はどこか描く相手が淀川で助かった安堵してる。他の人だと話題がないと気まずいしその辺り淀川に気を遣う必要はなさそうだ。正直絵を描いてる時と食事をしてる時は喋りたくない。日野に絵を見せたらしばらくで男子全員に廻ってしまうかもしれない。画を見せるのは好きじゃないがどうせモデルにしか興味がないのだから大丈夫としよう。昔から絵は得意であったが人間はあまり描けなかったのは、人の顔をまじまじと見るのは嫌いで見られるのも嫌だから自然と題材から外れてしまったせいかもしれない。

 

渡瀬は酒瓶と風景を描くのが好きだった。ワイン瓶のシルエットの曲線、瓶の色、ラベルの形はバランス良く整えられていて、全体が一つの美術品のように見えた。風景は特に森や川などの自然を描くのが好きだった。年頃特有の感傷のせいで風に色があるように見え、森に喜怒哀楽があるように感じた。川のせせらぎは絶えずに変調し休符が入り、水の流れていく様を空との境界が曖昧になるまで眺めたりするのが好きだった。彼は川を見ていると、自分が何をして生きているのかとうとう分からなくなり、阿呆らしくなる。橋の上から見下ろし、川に漂う鴨から、泡沫、水に泳ぐ鯉、遂に川底の砂利まで見えるようになると、体全体が川に堕ちていく感じがして恐ろしくなった。明日も美術の授業がある。渡瀬は川を横目に橋の残りを渡った。