階段恐怖症のはなし
私は上りの階段が恐ろしく怖い。
駅にある20段以上の階段や、神社の長い石段、ショッピングモールの長いエスカレータが恐ろしくてたまらない。
最初の一歩は踏み出せるものの、二歩、三歩と続くと、途中で力尽きてしまう。
それは脳内にある途方もない落下への妄想だったり、次を踏み外すのではないかという足への不信頼感だったり、確実性のないあらゆる思念を一つのツボに放り込んで、ともに喰らいあっているそれを抱えながら登っているせいである。
上を見上げ、実際にはそれほどの高さでもないと頭では分かっているものの、
終わりが見えないほど途轍もなく長く見える。次を踏み外すかもしれない…その次を踏み外すかもしれない…足を替えている最中にバランスを崩すかもしれない…
私はいつもそのようなことを考えながら階段を、手すりにしがみつきながら登っている。
人と付き合うことは階段を登るのに似ている。
一度、二度だけ会えばよいと分かっていれば、楽に話せる。
これから何回会うかもわからない、これで最後かもしれない、また会ってしまった…
そのような先が不確実で、長いようで短いような、終わりの見えない階段のような人間関係が苦手だ。そのような人と会って話している最中に、私は度々階段の途中で止まっているような、宙ぶらりんな恐怖と虚しさに襲われる。足元にうまくピントが合わず、もうここで終わらせてしまえたらどんなに楽かと考えてしまう。同じ人と会い続けるよりも、新しい人と会うほうがずっと楽だ。
いつからそのようになってしまったのだろう。学生時代は毎日同じ同級生と会うことが決まっていて、選択の余地がなかったから、階段を登るよりも、ベルトコンベア上で流されているような気分だった。自然と相性がいい人とは仲良くなり、合わない人とは離れていった。
社会人からは大分変わってしまった。誰と付き合うか、誰と一緒にいるかはある程度選択の余地が生まれてしまった。そう、自由が生まれてしまった。自由が生まれたからには、きっともっと幸せになれるだろうと誰もが考えるだろう。しかし、人間関係の自由は私にとっての苦痛でしかなかった。私は人との距離がうまく測れないから、いつも階段から転げ落ちる気分だった。ベルトコンベア上にない人間関係を、どのように続けて行けばいいかわからない。そもそも続けるべきなのか、やめるべきなのか、その判断すらつかない。私はただ階段があとどれくらいあるのかが知りたいだけなのに、思わず後ろを振り返ってしまって、自分が今いる高さに眩暈がして、意識が遠のくのです。
人間関係にも手すりのようなものがあればいいのにとつくづく思う。
国語の教科書に載っていた話をひたすら思い出す〜『檸檬』〜 音楽的な文章と絵画的な文章
全文はこちら
紙の本は角川文庫の表紙カバーが素晴らしいのでおすすめです。
教科書で『檸檬』を読んだのがいつだったのか覚えていない。残っている教科書の中を探してみても、見つからない。中学校の同級生に聞いたら「中学んときにあったねその話」と言い、高校の同級生に聞いたら「高校の現文でやらなかったけ?」と言い、大学の同級生に聞いたら「教科書にはなかった。本で読んだ」と言う。社会人になると、もうほとんど周りにそんなことを覚えている人はいなくなった。一緒にレモンケーキなんかを食べながら、同僚に「こう言う話で、こんなことがあって、レモンがなんとか」と言っても、「へえ、本がお好きなんですね。渋い趣味してますね」と返ってくる。私にとって学生時代というのは、価値観の似た友人がなんらかの因縁で周りに寄せ集められた、貴重な人脈の宝庫だったのかもしれない。
梶井基次郎の『檸檬』は10ページにも満たない短編である。田舎の学生だった私はそれを恐らく教科書で読んで、初めて素敵な文具を売っている「丸善」という本屋があることを知り、京都の街並みは北から南へ流れていることを知り、本屋に爆弾を仕込んでそっと出るスリルを知った。檸檬の色、香り、重さについては知っていたはずなのに、なんだか梶井基次郎の目から見ると、それはキラキラと光る別の世界の、別の果物のようにも見えた。
話が逸れるが、文章というのが大きく分けて「音楽的」なものと「絵画的」なものに分けることができるというのは、耳にしたことがありますでしょうか。個人的なざっくりな見解では、
「文章や構成にリズム感があり、緩急が気持ち良い」「会話のテンポがいい」「朗読したくなる」
このような文章は「音楽的」な文章だ。
一方で、
「色彩描写が多い」「一枚の絵のように場面が目に浮かぶ」
このような文章は「絵画的」な文章と言える。
「音楽的」な文章の典型とも言えるのが村上春樹の小説だ。文章は音楽の流れのように読んでいて気持ちが良く、無駄な描写が削ぎ落とされている。話の中に音楽の題名が乱立し、それが「おしゃれ」「カッコつけ」「スカしてる」という評価に繋いでいる一因とも言える。
「絵画的」な文章を書く作家として、夏目漱石がそうと言える。夏目漱石が書く文はひたすら美しい。さらに『草枕』では徹底的に「美とは何か」について論じていて、夏目漱石自身が多くの美術についての知識を有していることが窺える。
メタなことを言えば、作者自身が音楽と絵画のどちらにより通じているかが、文体に反映され、「音楽的」「絵画的」な印象を作り上げているのだ。どちらか一方の要素しか含んでいない文章はなく、どちらも全く含んでいない文章も勿論ない。「音楽的」「絵画的」というのは、「どの要素がより前に出ているか」だけの話である。
他にも詳しく論じている面白い記事が沢山あるので、暇を持て余している方はどうぞご覧になってください。
梶井基次郎は間違いなく後者の「絵画的」な方である。美しいものへのこだわりが強く、他の短編からも美術の知識が豊富であることがわかる。
本棚から久しぶりに『檸檬』を抜き出して読み、社会人になってからの生活の無味乾燥さを改めて実感することとなった。本質的な美しさに気づく機会が減り、新しい刺激もなくなり、家にあった檸檬を見つめてみても、それはただの檸檬に過ぎなかった。
それもそう、家の冷蔵庫ではなく、本屋のガチャガチャした色彩で固められた、画集の頂上に据えられてないといけないからだ。
そう考えていると、いいことを思いついた。そうだ、休日に丸善に行こう。私はもう丸善が大型チェーン店であることを知っているし、檸檬がスーパで98円で売られていることを知っているし、ドブ色の東京湾の近くに住んでいるし、借金に追われることも憂鬱のどん底に落ちることもほとんどない。
それでも丸善に行こう。自分の手によってしか現実は変わらない。日常に爆弾を仕掛けないと芸術は生まれない。行動しないと爆発は起きない。それがたとえ錯覚だとしても、一日を変えるくらいの威力はあるはずだ。
おわり
注:丸善の宣伝ではありません。書物と果物は正しく扱いましょう。
前回のお話
国語の教科書に載っていた話をひたすら思い出す〜『失われた両腕ーミロのヴィーナス』〜
今回のお話は清岡卓行の『失われた両腕ーミロのヴィーナス』です。
随筆集『手の変幻』に収録されている随筆です。
『手の変幻』は残念ながら絶版となりましたが、有り難いことに、電子版は読めるみたいです。
一部抜粋はこちら
『失われた両腕ーミロのヴィーナス』(以下『ミロのヴィーナス』)は高校の現代文の教科書に載っていた話でした。当時ミロのヴィーナスを読んだ後に、たまたま国語の教師から『手の変幻』の文庫本を借り、作者の他の「手」にまつわるエッセイを読むことができました。
その中でも『ミロのヴィーナス』は随筆集のトップバッターを務め、後続のエッセイのための一つの布石となっています。
『ミロのヴィーナス』は評論文ほど論理的に説得する内容ではなく、かといって小説ほどドラマチックな物語の展開があるわけでもない。しかし、その文章からひたすら溢れ出すミロのヴィーナスの美しさに私は打ちのめされました。
教室にいた私は、まるで自身がパリのルーヴル美術館の、丁度ミロのヴィーナスの前にいる気持ちでした。静寂の中、ただ自分とヴィーナス像だけがそこにいました。四方八方からその彫刻を眺め、その滑らかな肉つきと際どい布の流れを眺め、しばらく両腕が失われていることを忘れ、何時間も時が経っていることを忘れるだろう。
ミロのヴィーナスの今の形は、きっと製作者(古代ギリシアの彫刻家、アンティオキアのアレクサンドロス作と言われている)の意図する美の形ではなかった。ミロのヴィーナスには元々美しい両腕がついていて、それが彼の思う美しいヴィーナスだっただろう。さらに、そのヴィーナスの美しさは両腕にこそありと思っていたかもしれない。
一方で、現代でその両腕の復元を望んでいる人が、はたしてどれだけいるのだろうか。両腕がどんな形だったかを知りたい人間は五万といるが、いざそれが復元されたら、きっと私たちはもうミロのヴィーナスへの興味を失ってしまう。これは芸術作品における作者論と読者論の話でもある。
大人になってから『ミロのヴィーナス』を読み直し、この「ない方が美しい」論は実に様々なものに当てはまると思いました。それは芸術作品についてのみではない。
中学のあの初恋が実っていたらどうなっていただろう?や、職場のあの綺麗な女性は休日どのように過ごしているのだろう?や、なんとなく忘れられないドラマのワンシーンのタイトルや、身を焦がすほど待ち望んでいる作品の結末。
私たちがどうしても手に入れたい、欲しい、待ち望んでいるものは、この上なく素晴らしいものの可能性がある。しかし、時には自ら意図してその未完成さを守ることが、美しいまま残す手段になるのではないのだろうか。
酸っぱい葡萄ではない。私たちはその葡萄が世界一甘いということを知っている。
そして、ただ知っていて、想像したり、手に入れようと努力したりするだけでいいのです。でもいつか、もし予想しない角度から真実が襲いかかってきたら、真実を隠すという選択肢をしなければいけない。
その未完成さが、自分にとって大事であればあるほど。美しければ美しいほど。
前回のお話
国語の教科書に載っていた話をひたすら思い出す〜『黔の驢』〜
今回の話は柳宗元『黔之驢(けんのろ)』です。
高校生の漢文の教科書に載っていたお話になります。
全文はこちら
話の概要
黔州(昔の中国の地名)にはロバがいなかったが、好き者が外地からロバを輸入して、使い道がなかったので山に放った。
ロバを見かけた一頭の虎は、その大きな体と口に慄いて、しばらく様子を伺っていた。
初めはロバの大きな鳴き声に驚いていた虎は、段々その声にも慣れて、
ある日ロバの近くに行き、体をぶつけてみた。
怒ったロバは後ろ足で虎を蹴り、虎は喜んで言った
『なんだ、その程度か。』と。
虎はロバに飛び掛かってその喉を食いちぎり、肉を食い尽くし、そのまま去っていった。
この話の教訓はこうである
「見掛け倒しで大した技量がない者は、その技の拙さを強い者に見せてはいけない。」
黔の驢は、私の記憶に最も強く残った話の一つです。
それは、内容の深さや話の面白さのためではない。
むしろ、その真逆でした。
高校時代の国語で、この話の授業を受けた私は何一つピンとくるものがなかったのです。
しかも、当時私が非常に尊敬していた、恩師とも思える国語の教師が、この話に対し異常に思いれが深く、重々しく、大事なことを教えようとしていたのだと直感的にわかったのです。
非力なロバが、強い虎に食い殺された。
そんな当たり前の話から来た当たり前のような教訓を、どう受け止めようと言うのだ?
そう思っていたのです。
高校生の自分には分からずとも、大人になった自分なら少しは分かるはず。
何かしらそこからすくえるものがあるはず。
そう思いながらこの記事を書いています。
では、本題に入ろう。
まず、当時の高校生の私が何に困惑していたかということから。
黔の驢はおおよそ「見掛け倒しで大した技量がない者は、その技の拙さを強い者に見せてはいけない」という教訓を示している。
それについて頭ではわかっていました。
しかし、全く感覚的にわからない。
経験と、そのようなシチュエーションに身を置いたことがなかったのです。
それもそう、なぜなら普通の高校生は虎みたいに怖い大人に食われた経験があるわけがないし、身の程知らずで自分より強い人間に蹴りを入れる機会も普通はあり得ません。
理解しろと言われて、ピンとこないのも無理がないのです。
まして、たとえ強い者にいじめられても怒って反撃しようとしない性格なら。
しかし、今の自分なら、ロバの気持ちが少しは分かるのです。
少し横道に逸れるが、黔の驢を書いた柳宗元の話をしましょう。
柳宗元は中国の唐の時代の文学者、政治家。
21歳の若さで科挙に合格し(当時の合格者平均年齢は36歳くらい)、順調に出世して官僚として活躍していた。しかし、その才能は政界の陰湿な権力闘争に敗れ、政治改革をしようとするも目をつけられて失脚。その後左遷され、柳州で亡くなる。黔の驢は、彼が左遷された場所で書かれた「三戒」の寓話の一つでした。
黔の驢は、ほとんど作者自身の体験から綴られた教訓だと分かりますね。
つまり、第三者の目から見ると、
たとえ天才でも、素晴らしい技を持つ者でも、頭がずば抜けて良くても、
強大な権力の前ではロバに過ぎず、大人しくしていないと、いつか食い殺されてしまう
ということがこの話の暗示する教訓になります。
ついでに言えば、私の当時の国語教師は、元々教育界の高い地位にいたのだが、異動で田舎の高校教師になったのです。
心の中に秘める思いが、この話には沢山あったのでしょう。
おわり
前回の話
夢とその続き、今年の抱負
大事な夢を見ていた気がする。
それは例えで言うならば、家の近所の川から両手一杯の砂金を見つけたような夢。
ずっと探していたものを見つけ出し、手に入れる方法を知った夢。
何もかも鮮明に分かっていた。あとはそれを実現するだけ。
絶対忘れるもんか。覚えている、大丈夫。
そう思って起きたら、夢を見ていたことさえ忘れてしまったのです。
よくある話だが、確実に覚えていることは、何か忘れてはいけないことを忘れてしまったことだけ。
その後は…ただ虚しく、手から漏れた砂金をなんとか掬い上げようと脳裏を掘り起こしてみるが、何も見つからないのがいつものこと。
そう、いつもそうだった。
でも、今年からはー
夢とその続きを、現実で追いかけてみたい。
夢を見ているだけでは、夢から覚めてしまうから。
寅の見送り
2022年もいよいよ終わりが近づいてきました。
何か新しいことをしたかと聞かれたらそうでもなく、例年通りの一年でした。
でもちょっとだけ反省はあります。
ひとつ、今まで通りという現状に甘え、刺激が極端に少なく退屈だったこと。
チクセントミハイのフロー理論によると、個人のスキルとタスクの難易度がいい感じに釣り合っていると、フロー状態に入り、仕事や趣味が楽しくなるとのこと。
私は仕事は不安か退屈のどちらか、趣味は基本退屈かあるいはほぼゼロ(どっちにも至らず辞めてしまう)の状態が多かったです。来年は仕事はともかく、趣味についてはタスクの設定とコントロールが必要。
ふたつ、1年の目標を設定せず、振り返りのしようが無いこと。
そもそもこの振り返りを書くために目標の設定がされてないから(このような言い方をすると、会社員ぽくてつまらない人間だと思われそうですが)振り返りがちゃんとできない。私は岡田斗司夫の性格4タイプ論で分類したら法則型のタイプで、計画して実行して分析して反省して…というサイクルを淡々とこなすのが合っているから(臨機応変に対応しろと言われたらパニクります)特性を活かしてもっと計画しろ。
みっつ、どうでもいい欲望に執着し過ぎたこと。
収入とか貯金とか、友達の人数とか家の広さはもちろん大事だが、もっと本質を見ろ。やりたいことをやるのが理想の仕事であり、やりたくないことを思考停止してやるのが仕事ではない。それを給料が高いからと現実から目を逸らすな。やりたいことは何一つ出来ていないことを自覚しろ。
ざっくりこんな感じでした。
締めに頭大仏の素晴らしい花手水を。
伊勢志摩旅行記<2泊3日>--鳥羽水族館って広い!--
まえおき
11月の秋空の晴れやかな週末、有休を取って三重県に旅行に行きました。
今回の旅行は二泊三日なので、あまり遠くまでは行かず、鳥羽までの観光を予定にしました。
本当は志摩辺りまで行きたかったのですが、二泊では間に合わないので今回は割愛しました...次は五日間くらい休みを取って、志摩の島めぐりをゆっくりしたいものです。
できればそれまでに、運転も上手くなりたい…(筆者はペーパー)
ではここから、旅行の振り返りをしていきます。
1日目
大まかなスケジュールは下記▼
※時刻は超ざっくりです。
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1日目
10時半 品川駅発
↓
移動(東海道新幹線のぞみ号)
↓
12時 名古屋駅着
↓
昼食
↓
14時半 名古屋駅発
↓
移動(JR快速みえ)
↓
16時半 鳥羽駅着
↓
17時 鳥羽駅発
↓
移動(旅館送迎バス)
↓
17時半 旅館着
-------------------------------------
朝、いつも通りの時間に起きて、多めの朝食を取って、
小さいスーツケースを引きずって出発します。
京急で品川駅に着き、JR乗り換え口から新幹線改札方面へ…
いよいよ品川駅から出発です!このときが一番ワクワクしますね!
自動発券機新幹線の切符を購入しようとしたところ、早速問題が。
モバイルSuicaで入場した際、新幹線の切符は窓口で購入しなければいけない。
自動発券機はモバイルSuicaに対応してないので、隣にある有人窓口で精算しなければいけません。
そして窓口を見ると、そこには長蛇の列が…
並ぶのはどうしても時間の無駄のように思えたので、一旦品川駅の改札を出て、新幹線の切符を買って再入場しました。
JR品川駅は、電車を乗らずに入場しただけの場合も、入場料を払わないといけません...
しょっぱらから変な汗出ました…
でもこれだから旅はやめられないですね笑
あとから調べて分かったのですが、エクスプレス予約をすればモバイルSuicaと一緒に改札通れるみたいですね。新幹線をほとんど使わないので知りませんでした…今度使ってみます!
10:55 品川駅発
10時55分ののぞみ325号に乗り名古屋へ。自由席でも1号車は3割ほど余裕があり、以降2号車、3号車はほぼ満席でした。
運よく窓際の席を確保します。
N700系なので全席コンセント付きで快適でした。移動中は読書したり、名古屋のレストランを調べて過ごしました。
12:25 名古屋駅着
名古屋に初めて降りたのですが、味噌のお土産が多い印象でした。そういえばコメダの味噌カツパンが有名なのも、元々名古屋のお店だったからなんですね。
3列折り返しで、ギシギシに並んでました…
驚くことに、学校帰りのJKも並んでます笑
名古屋のJKは渋い…
計画変更し、名古屋コーチンの鳥開総本家へ。こちらは7組ほどしか並んでませんでした。この時間はどこも混んでますね…
12:50 鳥開入店
注文は並んでる時に事前に取って頂いたので、入ってから10分ほどで料理が来ました。
今回いただくのは…
名古屋コーチン金賞御膳
親子丼と手羽先、唐揚げの鳥づくしセットです。
まず気になる親子丼から、卵を混ぜずに一口…
っ!!!
コーチンうまっ!?!?
コリッコリ!
コーチンのコは、コリッコリのコだったのか…
なんて適当なことを考えながら、卵黄を混ぜる。
この卵黄がなかなか割れない。全身で新鮮さを訴えてくる…
ふわふわの卵と白飯をかきこんでいく。だしでご飯が何杯もいける…
卓上の柚子胡椒との相性も抜群である。
落ち着いたところで、手羽先を一口。
これは!!
ペロッ…黒胡椒!!
ピリピリした辛味がタレと合いすぎる。そして鶏肉がうまい!
最後に唐揚げ。レモンは必ずかけます。
カリッ カリッ
ジュワ〜
ぷりっぷりな鶏肉を使った唐揚げが美味しくないわけがない。
他の鶏肉を受け付けない体になってしまいそうだ…
あっという間に完食。
電車の時間まで40分あったので、駅の周りをぶらぶら。
昼間から飲んだくれが空き缶と共に駅前の広場でたむろしてた笑
14:37 名古屋駅発
JR快速みえに乗って鳥羽へ。
二両編成で自由席が先頭1号車7列目からと少々分かりにくい。
ここでセカンドハプニング…
ICカードは一切使用できない。
近鉄は使えます。JRはここから先は管轄外と言わんばかり、無人駅が多いです。
ありがたいことに、車掌さんが一席ずつ検札に来ていただけるので、その時に精算し、
ICカード処理連絡票をもらって、あとで入場記録を取り消してもらいます。
車窓の山や畑の風景に望郷の念を覚え、太平洋がちらちら見え、山が深くなった頃に、いよいよ鳥羽駅に到着。
...JR鳥羽、無人駅だった。
切符は改札を出るときに箱に投入するタイプです。
そりゃ、車両内でしか精算出来なさそうですね…
一度駅から出て、階段を登って近鉄側の出口に。
エレベータはないので、荷物が多いと大変です。
近鉄側はかなり栄えていました。やはりローカルでは近鉄の方がよく使われるのですね。
改札外にはファミマとカフェがあり、休憩用のベンチも沢山ありました。
ということで三重旅行での移動は長距離だったらあまりケチらず、近鉄を使用した方がいいかなというのが感想です。
送迎バスの時間までゆっくり時間を潰します。
17:00 鳥羽駅発
1番出口にバスのロータリーがあり、そこに各社の送迎バスが停まる感じです。
どこにどのバスが停まるか決まってなさそうでしたので、ちょっと見つけるのが大変でした。
今回筆者が予約したのは石鏡第一ホテル。
バスは超ギリギリに来ました笑。乗り遅れたのかと思ってヒヤヒヤしました^^;
この辺りは山がちなので、ペーパーにはちょっときつい道が多かったです。17時が最終便でしたので、バスに乗れなかったらタクシー探すしかなかったですね。
夕方の鳥羽港
17:30 旅館着
移動に1ほとんどの力を使い、1日目は終了です。
朝もう少し早く出て、移動間の休憩時間を短くしたらもう少し早く鳥羽に到着して、辺りで早めの夕食を取れたかもしれません。しかし旅に焦りは禁物ですので、バッファを持って予定通り到着できてよかったです。
朝食のみのプランなので、残念ながら夕食はありません。東館では部屋食ができるみたいなので、次はぜひ伊勢海老・アワビ・松坂牛付きの豪華夕食を頂きたい。
ゆっくり温泉に入って、1日目は終わりです。
本館は結構古い建物で、夜は窓の外の山の景色も相まって幽霊が出そうでした。
部屋に電気のリモコンがなく、照明を消すのに部屋の端まで歩かないといけないのが若干不便でした…
2日目
大まかなスケジュールは下記▼
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2日目
6時 日の出拝観イベント
7時10分 トンビ餌付けイベント
8時半 朝食バイキング
10時 旅館発
↓
移動(旅館送迎バス)
↓
10時半 鳥羽駅着
↓
移動(徒歩)
↓
10時40分 鳥羽水族館着
13時 昼食
16時 鳥羽水族館発
↓
移動(徒歩)
↓
16時10分 鳥羽駅着
17時 鳥羽駅発
↓
移動(旅館送迎バス)
↓
17時半 旅館着
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2日目は朝から旅館のイベントで盛り沢山です。
まだ空が薄暗い時間に、セットしたアラームが鳴ります。
石鏡第一ホテルには、良い日の出スポットがあるみたいなので頑張って早起きします。
急いで浴衣を整え、顔を洗い、日の出スポットのバイキング会場へ。
6:00 日の出拝観
窓際に一列椅子が並べられており、サービスが丁寧でした。
朝日はまだ登ってません。どうやら間に合ったみたいです。
窓には辺りの森と伊勢湾の水平線が映り、空にはうろこ雲がかかってます。
6時になって人がぞろぞろ集まり、椅子の後ろにもまばらに観客が集まってきました。
そして辺りの雲の輪郭が徐々に明るくなり、水平線から真っ赤な太陽が登ってきます。
天気の良い日には富士山も見えるみたいです。
日が完全に登った頃には、窓の外にはトンビが何羽か集まってきていました。
7:10 トンビ餌付け
7時すぎにトンビの餌付け会場に向かいます。
2卓に分かれて刺身の切り落としが山盛りに置かれており、空にはすでに20羽近くのトンビが旋回しながら待機しています。
餌が冷凍のねずみとかではなくて良心的です。
流石に手で直接渡すのではなく、広いベランダのようになってる足場から遠くへ投げる形式でした。投げるとトンビが飛んできてキャッチしてくれます。
朝から猛禽類と戯れて楽しいひと時でした。
朝食まで時間があるので、露天風呂に向かいます。
男女入れ替わり制なので、昨夜とは違うお風呂です。
あまり広い露天風呂ではないが、この時間帯は貸切でした。
朝日に照らされる湯気と三重の山々に囲まれて、至福な時間を過ごせました。
屋上にテラスがあるみたいなので、湯上がりに寄ってみました。
伊勢湾と山を一望でき、ソファーがあって休憩もできます。
夜は星空が綺麗そうです。
8:30 朝食
待ちに待った朝食の時間です。7時半と8時半で選べたのですが、混んでなさそうな遅い時間帯にしたものの、もうお腹がぺこぺこです。明日は早い時間帯にしようかな。
和食はスタンダードなきんぴらや卵焼き、焼き魚から、伊勢ならではの刺身や松坂牛のしぐれ煮、伊勢海老の味噌汁と伊勢うどんまであります。
マグロと鯛が食べ放題なんで贅沢過ぎです。
特に好きなのが伊勢海老の味噌汁で、海老の出汁が効いててご飯にすごく合います。
伊勢うどんはふにゃふにゃで、正直讃岐系のコシのある麺が好きなので微妙でした笑
10:00 旅館発
10時、旅館からバスで駅へ。時間決めて移動しないといけないのは不便ですね…早くペーパー卒業したいです。鳥羽駅について、トボトボ海沿いを歩きながら鳥羽水族館へ。道中の風景を見ると、山があるところなどは湘南や熱海にも似てるかもしれない。天気は良く晴れていて、伊勢湾の向こうの島々もよく見えます。地理観がなく、地図を見てもどの島がどの島なのが怪しいのが残念です。
10:40 鳥羽水族館着
10分ほど歩いて、鳥羽水族館に着きました。大学時代から来たかった、日本一の飼育種数を誇る水族館です。魚だけでなく、爬虫類、両生類、海生哺乳類が多いのが特徴です。
順路は特にないようなので、A〜Lのエリアを自由に見学できます。
A パフォーマンススタジアム
2階建てのスタジアムで、アシカショーの会場になっています。
10:00~ 11:30~ 13:00~ 15:30~
の4回、各回15分で上演されます。
毎回担当しているアシカやアシカ達の調子も違うので、何回見ても違った個性があって楽しめると思います。
筆者が観た回を担当してくれたカリフォルニアアシカのシノ君は当日絶好調で、会場が大いに盛り上がりました。
舞台裏でトレーナーさんとアシカ達がどれほど頑張ったか想像すると、シノ君にチップをあげたい気持ちになりました。
B 海獣の王国
トンネルを潜って、反水面下で生き生きと泳ぐアシカやアザラシを観察できます。
さて、ここから復習しておきたいのが海獣の見分け方です。
アシカとアザラシ、セイウチはひと目で見分けがつくようにしておきたいですね。
アシカは肌黒でスリムでよく歩く、アザラシは小太りで目がクリクリ、セイウチはキバがあるので間違うことはないです。
時間のある方は下の記事が分かりやすくまとめられているので、目を通していただけると良いです。
C 古代の海
ここのコーナーにいる古代魚は、いわゆる「生きた化石」と呼ばれる魚類です。
東南アジアの淡水湖を連想させるアロワナや北米大陸のガー、パラオオウムガイがいます。
淡水でしか生きられない古代魚の分布から、かつての地球が陸続きだったと分かるのは非常に面白い。大陸移動説には幾つか根拠がありますが、その中の生物地理学的根拠にあたります。
今回オウムガイを見るのが楽しみだったのですが、ぷかぷか泳いでおらず岩陰で寝てました…
オウムガイ
オウムガイは2017年のワシントン条約による規制のため、取引が難しくなりました。
また、2020年のコロナウイルスの蔓延のため、ますます海外からの入手が難しくなっているようです。
今しか目にできない生き物を見るのはとても贅沢なことですね。
古代魚は変な見た目をしているものが多く、何億年も昔からその姿をほぼ変えずに存続してきました。
そう考えると人類が生まれたのはつい最近なので、私たちの生きているこの世界で普通とされている魚の方が、地球の歴史から見たら変な見た目をしていることになるかもしれませんね。
会場全体の暗さ、静謐さもまた不思議な時間の流れを感じさせてくれます。
D コーラルリーフ・ダイビング
エントランスホールに入ってすぐの場所に、大きな水槽があります。
会場を進んでいくと、裏に回って階段で大水槽の中に潜ることができ、まるでダイビングしているかのような気分になります。
コウイカ科のコブシメが4匹ほどいました。コウイカなので味は美味なのだろう。
コブシメ
掃除をしてたスタッフさん
E 伊勢志摩の海・日本の海
どちらかというと美味しそうに感じる魚が多いです笑
魚をひと目見ただけで美味しそうと思い、実際にそれが美味しいから不思議です。
美味しそうな魚を判別する本能は、遺伝子に刻まれているものなのでしょうか。
スズキ目タイ科キダイ
西日本に多く、真鯛の代用として使用されることがあるということで、きっと美味しいのでしょう。
キンメダイ目イットウダイ科イットウダイ
出汁が濃厚で美味だそうです。
スズキ目ベラ科キュウセン
海水魚であり、綺麗な見た目をしてますがベラなので食べられます。
幼体はメス、成長するとオスに性転換するらしいです。
珊瑚礁がある浅瀬に住んでいて、夜になると砂の中に潜ります。
ハワイウツボ
ハワイと付いているが、日本近海にも生息しています。
ウツボは凶暴で食用に向かないが、観賞用として人気のある種です。
このコーナーの見どころはなんと言ってもスナメリの親子です。
イルカの仲間で、可愛らしい見た目をしています。
三匹のスナメリが仲良く泳ぐ姿が見られました(2022年11月上旬)。
F ジャングルワールド
入り口をくぐり抜けるとそこは熱帯だった。
目を引く赤い鳥と青い水。
そしてカピバラ。
鳥と魚と哺乳類が同じ空間にいるのは、なかなか見応えのある光景でした。
そしてその赤い鳥ですが、ピンク色の鳥といえばフラミンゴだと思いましたが
ショウジョウトキというトキの仲間でした。
G 奇跡の森
屋上に近いフロアにあり、入ってみるとそこは水族館というより動物園みたいでした。
さまざまな植物、カエル、ワニ、ヤマネコの仲間のスナドリネコが展示されています。
「スナドリ」は「漁り」という言葉に由来し、魚を捕るのがうまいことから名付けられたそうです。
隠れているアカメアマガエル
なんて顔してるんだ…
ミシシッピーワニ
H 人魚の海
ジュゴンは漢字で海牛と書き、きっと海草をたくさん食べるからでしょうね。
鳥羽水族館がジュゴン飼育を成功させるまでには数々のハードルがあったとのことでした。現在鳥羽にいる「セレナ」は元々フィリピンのパラワン島でスタッフに保護され、人工授乳の方法、水質保全の方法などについて数々の試行錯誤を経た後確立されました。
セレナは2022年で入館35周年を迎えてます。これからも鳥羽で元気に泳いでいることを願わずにはいられません。
アフリカマナティもまた、鳥羽水族館でしか見られない生き物です。
ジュゴンとマナティは同じ海牛目に属し、それぞれジュゴン科とマナティ科に分かれます。しゃもじのような尾びれをしているのがマナティで、イルカのように二つに分かれているのがジュゴンです。
その他、ジュゴンは海の底に生えている草を食べ、マナティは水に浮く水草を食べるので、口の向きがそれぞれ下向きと上向きになってます。
I 極地の海
屋内の水槽コーナーと、屋外の水槽コーナーがあります。
ペンギンやアザラシ、ラッコなど、水族館で人気の動物が沢山います。
シロワケイルカ
シャチみたいでかっこいいです。
みんな大好きペンギン。
かわいいね。
アラスカラッコ
気持ちよさそうです。
J 日本の川
日本の川、田んぼの川や淡水の川などに分かれて展示があります。
おすすめは日本の川水槽の手前の休憩ゾーンです。
ここのソファーに座って、川で泳ぐ鴨を眺めたり、川のせせらぎを聞くと、
疲れが一気に消えます。
とにかく癒されるコーナーです。
沖縄の美ら海水族館の癒されスポットがジンベイザメの水槽だったら、
鳥羽水族館の癒されスポットはきっとここです。
鳥羽水族館は1日で回りきれないほどの見どころがありました。
そしてとにかく疲れるので、こまめに休憩しながら回るといいですね笑
お昼時間に外で食事する場合は、入口に設置してある鳥羽水族館再入場スタンプを手に押せば、当日中再入場することができます。
昼食は当地の新鮮な魚と日本酒を味わえる「天びん屋」で海鮮定食を注文させていただきました。
作(ざく)の純米酒と共に。
沢山歩いて、沢山見て充実した1日でした。
旅館に戻る前に、鳥羽駅のコンビニでイセシマハイボールを購入し、湯上がりの楽しみとしました。
三日目、伊勢神宮参拝記につづきます。