曖昧なやつ

甘くて苦くて酸っぱい

僕が何かを目指すわけ

勉強はあんまり得意な方ではありませんでした。学校の勉強は実に面白く興味をそそられましたが、英語と国語を除いて、勉強せずともいい成績を取れたものはありません。いつも通り授業を受けるだけでは、物理や数学はそんなに分かったものではありませんでした。どれも実に哲学的で奥が深いものだったのですが、残念ながら僕にはセンスがなかったのです。

代わりに僕は放課後になれば学校の、同じ地域の高校に比べたら比較的に広めと言える図書館に足を運びひたすら文学を漁っていたものでした。図書館の特有なシックハウス的な、インクの匂いはそんなに好きではありませんでしたが、懐かしさを感じさせます。古い本を開いたときの、カビの混ざった甘い木材の酸化した匂いは眠りを誘うもので、いつの間にか広いテーブルでうつ伏せになってうたた寝しているときがありました。その時僕は、まるで頼りない円木に寄りかかって、東南アジアのどこかぬるま湯のような海の上を漂っている感じがしたのです。そのうちぽつりと雨滴のような音が聞こえると決まって目が覚め、テーブル一杯に橙色の夕日が窓から降り注いでいたものでした。

もう一つ僕なりに心が落ち着く場所は部活のアトリエです。僕は絵を描いてる途中、どことなく自分の中に潜む自由な子供が気の赴くまま転がるのを見ているような気がするのです。イーゼルを立て、キャンパスを置き、絵具の匂いを嗅ぎながら色を混ぜ、真っ白い布地に載せていくのは一種の儀式のような作業です。それから絵を描く途中で僕は心の中の幼い自分とどこまでも向かい合って対話し、ときに叱りときに慰め、自分が本当に自分なのかを確認していくのです。あまりうまく描けないときや、心がざわついているときは、描くのをやめて端にあるボロボロなソファーに座り、窓の外を気が済むまで眺めているのです。目が見えなくなったり、手が使えなくなったら僕は気が狂ってしまうと思うんです。

僕は昔から少し周りと馴染めなかったのです。クラスの友達は皆優しい人で、それに幾分か大人びて頭の良い人達でした。だから彼らは僕に優しかったし、例え僕が何かその場にそぐわないおかしなことを言っても、それを薄いベールでふわっと包んで流してくれたり、または敢えて笑いに変えて空気が固まらないように気を遣ってくれていました。彼らは実に大人で、器用な人達だったのです。しかし僕は彼らの優しさに触れる度、なんだったら同じ空間に存在しているだけで、自分に欠けた何かを意識せざるを得ませんでした。それは太宰の持っていたピエロ的な世渡りの良さだったり、建前という社会的常識の欠如だったり、さらに内面について端的に大雑把に言えば、僕はどこかおかしかったのです。特別でもなんでもなく、引っ込み思案や「コミュ障」を超えたアスペルガーのようなおかしなものが嫌でも浮き彫りになっていたのです。

高校三年の進路選択を迎え、僕は僕のために何かをしなければいけないと思いました。精神病院に通うとか、受験勉強を頑張っていい大学に入るとか、そのような事ではなく、もっと根本的な、自分の救いになるようなことをしなければいけないと思いました。病気になっているわけでもないし、知的障害でもアスペでもないが、僕は自分がどこがおかしいのか特定しなければいけません。それは精神科に通って薬をもらってホルモンを調節するのとは別の話なのです。それは僕自身にしかできないことであり、もしかしたら一生をかけても分からない事だったり、青年期特有の自意識の膨張だったり、誰にでも訪れるものなのかもしれません。でも僕はやはり自分の救済を、したい限りしなければいけないのです。

そしてその救済の過程が僕なりの人生を表していることを僕は知っているのです。

やさしい歌が好きで

彼はこちらへ見向きもせずに、鍋の中のおでんをつついて、ちくわを口に運び頬張っていた。呑気そうな瞼と裏腹に、彼がつい先程こぼした言葉に私は戸惑いを隠せなかった。

 

「卒業したら地元に帰るってどういうこと?東京で仕事を探すんじゃなかったの?」

自分の声に確かな焦りを感じながら、彼はやっとのことおでんから目を離しこちらを上目遣いで瞼をぱちぱちさせながら覗いた。少しバチが悪そうな顔をしてちくわを喉に押し込み、箸とお椀をきちんとこたつの上に置いた。伸び切った髪を手で撫でながら、目を少し泳がせている。

 「…ごめん、今はもうちょっと時間が...ほしい」

いつも通りの柔らかい口調で目を伏せる彼を横目に、私は心の内に堪えられない何かが沸き上がるのを感じた。もう、勘弁してほしい。溜息が自然と口から漏れ、一方でこんな正直な自分のことを少し嫌いになった。

大学を二年留年した彼と出会ったのは半年前のことで、ゼミの休み時間にいつもヘッドホンをしてる不思議で窮屈そうな人だった。興味を持った私は夏休みに彼を図書館に誘うことに成功し、何度も互いの家を行き交ううちにその煮え切らない態度を見かねて自分から交際を申し込んだ。秋になると四年生の彼は卒業論文に打ち込み、パソコンと睨めっこする彼を傍らに私はたいそう退屈にしながらいつも彼の本棚を漁った。ヘッセ、サリンジャー、オースター、サンテグジュペリに、中原中也の詩集と、村上春樹のハードカバーが全巻。

「卒論は進んでるの?」

私が鍋の中の最後のがんもを取ると、彼は立ち上がりパソコンの前に座った。マウスのカチカチした音が聞こえ、キーボードを打ちながらだるそうに「うん」とだけうなずいた。「まだ色々読まないといけないから大変だけどねえ」

鍋と食器を片付け、低い折り畳みテーブルを拭いて戻す。クローゼットを開け、背伸びしながら棚の上の布団を掴む。ずらしながら引っ張っていると、彼がどこからともなく現れて布団を抱え出してくれた。

夜が更け冷えてくる6畳間の端に私は布団を敷いた。彼は無言でパソコンの前に戻りキーボードをカタカタさせた。布団に潜ってスマホを取り出し、うつ伏せで友達のインスタ投稿の文字を読まずに画像だけをスライドさせる。背の低い本棚がありマンガの背表紙で目が眩む。布団のすぐ後ろには高い本棚を隔てて彼のベッドとパソコンがある。そこに彼がいて、トイレに行くときだけこちらを通る。

スマホを切って、枕の横に置く。することもなく天井を見上げ、明日のことを考えながら彼が寝るのを待つ。隣で寝る訳ではないけれど、ただなんとなく待っている。

うとうとしているうちに、部屋の電気が消えた。パソコンの冷えた青い光が中途半端に高い本棚を超えて部屋に溢れ、キーボードのカタカタした音が部屋を余計静寂にさせた。

寝返りを打って、流石にもう寝ようと決め、高い本棚の上から見下ろしている『国境の南 太陽の西』におやすみと言ったものの、村上春樹なんか読むもんかと心の中ではささやかな反抗を唱えた。来年の春に、彼は地元に戻り、私は就職活動を始める。

本棚からは、おやすみの代わりに「戦場のメリークリスマス」が流れてきた。

 

今夜はクリスマスイブである。

 

 

気が狂いそう

これから自己紹介をしたいんだけど、ほんとは自分のことよくわかんないんだよね。

 

クラスじゃ不思議ちゃんだといわれているけど、ふつーにしてるだけなんだよね。

ふつーに学校来て息してるだけで、不思議ちゃんだってよばれて、いじられてんの。ほんとうに笑っちゃうわ。

でも周りには頑張ってキャラとかつくってる人が沢山いるから、それに比べちゃ全然楽なもんね。

人と話したくないから休み時間はひとりで本を読んでて、授業がつまんないから窓の外を見ながら夕飯の献立を考えるの。とりあえずちゃんとした理由はあるのよ。なんで不思議なんだろ、笑っちゃうわ。

ちなみに料理を作るのはすごく好きよ。学校でロボットみたいに数学の公式を覚えて、理科の問題を解いて、言われた通りの歌を歌って絵を描いて何が楽しいのかしら。

あたしが一番楽しいのは、やっぱり自分でレシピを考えた料理を作ることね。学校の家庭科のおままごとみたいな料理じゃなくて。カレーなんかも、ルーを使わないで好きな味を考えて、一からスパイスを合わせる方が全然楽しい。教科書なんて全部捨てちゃえ。

あたしが考えてることをちゃんと聞いてくれれば、みんな納得して面白がることもなくなるのかしら。でもね、あたしはほかのクラスメイトが不思議でたまらないの。寒い冗談しか言えない担任のことをどうして面白いと思うのだろう。運動会の自主練習にどうして、運動が嫌いな子を巻き込むのだろう。廊下の長い流しの上に置いた花瓶に、毎日違う花を挿してる音楽の先生にどうして、ひどいあだ名をつけて悪口をいうのだろう。あたしの前の席の、優しくて絵がうまい男の子のことを、どうして女の子はからかって笑いものにするんだろう。こんなに学校は嫌なことでいっぱいで、その分すてきなことにも溢れているのに、どうしてみんな何食わぬ顔して、平気で息をしているのだろう。

不思議でたまらないわ。

 

敏感肌

私は今ベッドの上に仰向けになっている。頭の下にはザラザラした髪の感触とひんやりした枕カバーと頭の重みのせいで凹んだ枕。

布団が体の上に被さっている。空気を含んだ厚い羽根布団だ。さらに布団の上には、脱いだジャージとズボンの重みが微かに感じられる。

手は腹の上に重ねてある。呼吸に伴う脂肪の浮き沈みを手で少し抑えながら、腹巻の毛玉と繊維の感触を確かめている。私は腹巻をしていて、腹巻の下には肌着を着ている。下はトランクスと短パンだから、冬にしては寒過ぎる格好だ。でも1ミリでも動けば身体中から熱が空気中に逃げてしまう気がして、じっとしている。

背中で肌着の盛り上がった縫い目と柔らかい生地が皮膚に押し付けられる。髪が何本か首周りの皮膚に突き刺さるのを感じている。腕や脚の周りにはシーツの繊維か体毛がうごめきまるでダニが何匹も這い回っているようだ。足で動き回っては手の甲でも応えるようにコソコソと毛穴のいとつからもうひとつへと移動したり、太ももと短パンの間で跳ね上がったりしている。顔で静かに冷たい空気を受け止めながら、身体中は大忙しで全く落ち着きがない。ついに足の裏にチクリとチクリとしたこそばゆさが起こり、ひとつ寝返りをうった。今まで保ってきた等身大の温もりは、一瞬で抜け落ち、肩からふくらはぎまで神経が波を打ちながらビリビリと震えた。

明日シーツを洗ってみよう。布団カバーも。そう思いながら、また触覚との戦いが始まった。

 

手をはなそう

男は冬があんまり好きじゃない。

枯葉の匂い、透きとおる風、空と木のコントラストの全てがほかの季節と同じくらい趣深いけれど、なんとなく訳のない気だるさに見舞われることが多かった。朝起きると鈍い光がカーテンの隙間から漏れ出て、重い布団が体に負い被り、手や頭を少し動かしてみると、一日の終わりのような始まりを迎える。

 

大学を卒業し、やっとの思いで希望の職種に就くことが出来た。不眠の街をふらふら歩きながら空いたビール缶を振らし、プログラミングされたように見知らぬ夜道を辿って帰る毎日だ。夢とうつつがはっきりしないままベッドに潜り込み、何度も死んでは生き返る。

 

鉛のような体をベッドからずらし、頼りない両足を床に着けた。クローゼットの引き出しから黒いトレーナーを引っ張り出し、そのままパジャマの上に被せる。朝飯を食べるのも億劫なので、湯沸かし器を途中で止めたぬるま湯を胃に流し込む。暑くも冷めてもいない液体が身体中に広がり、腹が少し重くなる気がした。光の射す方を一瞥し半開きのカーテンを閉めるか開くか迷ったが、そのままにしておいた。6畳の部屋は明るくも暗くもなく、青色がかったねずみ色に見えた。

 

近くから中学校の予鈴が聞こえた。時刻は9時ちょうどで、もう会社に間に合う時間ではない。テレビを付けてみたが、近頃同じニュースばかり流れている。どこの誰かが死んで、偉い人が失脚して、春一番がどうのこうの。でもそんなことも、やがて全ての人間に忘れられるだろう。

男はテレビを消し、再びベッドに倒れ込んだ。

手をつなごう

大学はそんなに嫌いではない。

一年生の頃は好奇心旺盛で色んな授業を取っていたし、二年生には単位のほとんどすべてを取り終え、今や残るは卒論のみ。講義に対して興味が尽きることはなく、良き理解者でもある友達に恵まれ、金銭には困らない。

 

だが私は、大学を良く休むことになった。

取っている講義の数が激減したことや、一人で授業を受けるようになったこと、空気が合わない研究室、青年期特有の自意識の寄せ集めのような部室、引き籠り気味な親友。それらすべてはきっかけに過ぎない。本当の理由は心の奥底に埋められていて、未だ萌芽しない、するかもわからないが、したら鉢ごと崩れ落ちそうな危うさを抱えている。

 

しかし社会人へのカウントダウンは刻々とそれを促し、無情な時間の流れが私を内なる方へと追い詰めるのを感じた。心の中の種は戸惑いと反感とかつてない生き難さを誘い、朝を迎える事すらままならない。世間にそれを、モラトリアムの一言で片づけられるのは、あまりにも悔しい。

 

だから、全部天気のせいにしよう。夜の海を見つめすぎるのは、星がきれいだから。外に出たくないのは、北風が冷たいから。目の前のものが良く見えないのは、陽が眩しいから。

 

うまく生きられないのは、空が灰色だから

左脳の傲慢

  全知の存在がいるとしたら、きっと人間のすべてのややこしい感情に論理的な説明をつけることができただろう。何かを嫌だと思う気持ち、好きだと思う気持ち、なんとなく死にたいと思うとき、生きなければと奮起するとき。しかしそれを、全ての感情を筋の通った論理で説明しようとすることは至難の業だと思うし、それを可能だと盲信することは傲慢な事ではなかろうか。

  人間は言葉で考える生き物だと言われている。事実かどうかを確かめようとすれば考える動作を行うことになり、凡人には確かめる術がない。しかし多かれ少なかれの、マイノリティーだと断言できる人間が存在するという事を、本人も含めて知っている人もいるだろう。イメージや映像や、言葉とは程遠い曖昧な何かで思考する人が。

  私たち人間が知性として持っている情報は実に少なく、感じている情報は自らの思うよりも自分の理性を支配している。つまり、人間はコンピューターではない、生き物であり訳もなく泣いたり笑ったり、バグでも起きたかのように過去の記憶がフラッシュバックしたり、ある程度は遺伝子に左右されながらも理屈抜きで何かを好きになる。これらすべての感情は愛おしく不思議だから、バラバラに分解して仕組みを理解しようとし、それながら自らの脳が不器用であることを認めることができずわかったようなふりをしてすべてのロマンに理屈をこじつけようとするのは見苦しいし、自分の理性を盲信してすべてを理屈で解明できると考えるのは傲慢だ。私は、こんなことはできないからやめろと言っているのではない、夢がないからやるなと言っているのでもない、きっと非常に賢い脳科学者でもいればある程度は説明のつくことだし、冷静的に物事を判断することは重要である。ただ人間という生き物の不思議さ、バランスの取れない天秤のようなその不器用さ、すべての感受性のすばらしさを見過ごしている人、愛し損ねている人の多さに遺憾と悔しさを感じているのだ。

  それは私が、人間という種族を心から愛おしいと思っているからかもしれない。